千葉英司さんらのおかげでとりあえずの平和が戻った9月1日の東村山


ここ数年、9月1日には、16年前にビルから転落して亡くなった朝木明代元市議を追悼するという名目で、「襲撃する運動」関係者が東村山で何らかの騒ぎを起こすのが慣例のようになっていました。しかし、今年はどうやら平穏無事に済んだようで何よりです。


もっとも心配されていたのは昨年も東村山街宣を強行したまきやすともでしたが、今年は早々に街宣断念を表明していました。


9月1日、東村山駅前街宣は実施しません。
昨年は、殺害事件からちょうど15年でしたので実施しました。
9月5日に裁判所の方へ起こしください。
まきやすとも 2011/08/28 7:39 PM


対創価学会街宣名誉毀損裁判の控訴審(4月21日判決言渡し)で再び東村山での街宣等禁止を命じられ、千葉英司さんに訴えられた機関紙名誉毀損裁判控訴審(7月20日判決言渡し)でもあえなく敗訴し、頼みの綱だった「内部告発」ネタの発信元である瀬戸弘幸サンからも完全スルーされてしまうとなれば、これも当然の判断というものでしょう。当日は、東村山を訪れる代わりに、中野サンプラザで開かれた渥美二郎コンサートで何やら妄想を膨らませていたようです。ちなみに、9月5日の裁判とは写真著作権侵害裁判控訴審第2回口頭弁論のことですね。


東村山市民新聞でも、8月29日から始まった市議会9月定例会の話題に触れるでもなく、「最終更新日」のみの修正が黙々と続けられています*1。週明けの5日には矢野穂積朝木直子両「市議」が一般質問に立つ予定ですが、昨年の一般質問では(一昨年とは違って)とくに朝木明代市議転落死事件に触れることもなかったようですから、今年も同様かもしれません。


そういえば、紙版東村山市民新聞」170号(3月20日付)や4月の市議選の選挙公報によればすでに第三書館から出版されたはずの『東村山の闇』続編は、依然としてアマゾンにも版元ドットコムにも見当たらないんですが、これはけっきょく虚偽記載だったのでしょうか。あらためて確認したら、紙版東村山市民新聞」171号第4面の〈おしらせ〉では続編への言及がなくなってますね。



虚偽記載だったとしたらなかなか問題だと思いますが、それはともかく、この間の9月1日の状況を簡単に振り返っておきましょう。


まず、瀬戸弘幸サンの無責任な「内部告発」ネタに触発された連中が東村山に集まって洋品店襲撃事件を引き起こしたのが、2008年9月1日のことでした。この日あわせて行なわれた東村山駅前街宣には矢野・朝木両「市議」も参加し、次のように瀬戸弘幸サンの無責任な「内部告発」ネタに飛びつくとともに、その後、洋品店襲撃事件も公然と擁護するに至ります。


「新たな情報をもとに朝木明代議員謀殺事件究明に立ち上がった瀬戸弘幸氏ら主催の/9月1日朝木明代議員追悼・東村山駅頭行動に矢野・朝木議員が参加、事件究明を市民によびかけ。」2008年9月8日付更新



東村山市民新聞〈「変えよう!議会を 親創価に」〉より(2009年6月4日付更新


しかし、翌2009年9月1日の街宣には、両「市議」は一転して不参加を決め込みました。とはいえ、瀬戸弘幸サンのほか、前年の街宣直後(2008年9月26日)に千葉さんから訴えられていた西村修平創価学会の申立てにより東村山等における街宣禁止の仮処分を受けたばかりのまきやすとも&クロダイ黒田大輔)らが街宣に参加しており、ほぼオールスターと言ってよいメンツです(2009年9月2日付〈泰山鳴動して(訴えられた)ネズミ数匹〉参照)。もっとも、1年前の洋品店襲撃事件で先陣を切って大騒ぎし、別の街宣でも朝木明代市議転落死事件は創価学会による殺人だと断言していた桜井誠・在特会会長は、この件からとっとと手を引いており、この日の街宣にも姿を見せませんでした。


その後、街宣名誉毀損裁判の第1審判決が2010年4月28日に言い渡され、当然のことながら西村修平が敗訴。ほどなくして対創価学会街宣名誉毀損裁判の第1審判決も7月30日に言い渡され、まきとクロダイに対し、110万円の損害賠償と東村山等における街宣禁止が命じられます。そのためか、昨年(2010年)9月1日には、まきやすともは前述の通り東村山で街宣を強行しましたが、クロダイは新宿に場所を移して街宣を実施。瀬戸サンは紆余曲折の末に街宣を中止し、西村修平はとくに動きを見せないという惨憺たる状況となりました。昨年の様子については以下の記事を参照。


ほどなくして、街宣名誉毀損裁判控訴審判決が10月28日に言い渡され、最高裁の上告不受理決定(今年3月15日)により西村修平の完全敗訴が確定。今年4月21日には対創価学会街宣名誉毀損裁判の控訴審判決(原審判決維持)が言い渡されたほか、機関紙名誉毀損裁判でも、前述の通り、第1審(今年2月16日)・控訴審(同7月20日)ともにまきやすともが敗訴しています。さらに、そもそもの火付け役である瀬戸サンに至っては、千葉さんから訴えられた裁判で、4月末にさっさと和解を受け入れてしまいました。


このようにして、今年の9月1日にはようやく東村山の洋品店に平和が戻ったというわけです。まきとクロダイの活動を封じる上では創価学会も重要な役割を果たしましたが、やはり矢野・朝木両「市議」に端を発する根拠のない主張を丁寧に各個撃破していった千葉英司さんの功績がきわめて大きかったと言うべきでしょう。


それでも、瀬戸サンは言い訳のように〈 故朝木明代東村山市議殺害事件:16年目の命日を迎えて〉なるエントリーを9月1日付でアップし、千葉さんに対してぶつぶつ文句を言っています。


 本日は東村山市議時代に創価学会を厳しく追及していた故朝木明代さんが、何者かによって東村山駅前のビルから突き落とされて殺害されたその命日でもあります。創価学会と命を賭けて戦った勇気ある女性市議の、その意志を後世に伝える為にも、今後ともこの問題を訴えていく所存です。
 この事件を当時東村山警察署の副署長として捜査に当たった千葉英司氏は、現在も朝木明代市議の仲間であった矢野穂積市議や娘さんの朝木直子市議を相手に民事で訴えています。
 何回目の訴訟提起なのか、私は詳しくは聞いていませんが、もう十回近くに及ぶのではないでしょうか? 当時捜査に当たった人物が、その後もこのように執拗にこの事件に関わっている異常性を私は不気味に感じるし、それ故にこの問題から離れる訳にはいきません。


瀬戸サンがここで言及している裁判は、朝木明代市議転落死事件・「鍵束」裁判のことですね。5月27日付〈スルーしてきた西村修平・街宣名誉毀損裁判の結果をいよいよつきつけられる矢野穂積・朝木直子両「市議」〉で解説しておいた通り、この裁判は、西村修平・街宣名誉毀損裁判で出てきた資料に便乗して矢野・朝木両「市議」がおかしな騒ぎ方をし、西村修平の完全敗訴が確定した(=矢野・朝木両「市議」の主張が間接的に粉砕された)後もそれを完全スルーしていることから提起されたものです。瀬戸サンは、「異常性を・・・不気味に感じる」べき相手を間違っているのではないでしょうか。こんな瀬戸サンが、フジテレビの件では
この問題ではジャーナリストである江川昭子氏にもっと丁寧な根拠を示しての批判をお願いしたい。余りにも一方的でありすぎるし、根拠を示すことなく『恥ずかしい限りだ』などとヒステリックに言われても困ります
などと偉そうに能書きを垂れるのですから、大笑いです。


同時に、千葉さんから訴えられた第1次せと弘幸Blog『日本よ何処へ』裁判で提出した陳述書も、和解成立から4カ月を経てようやくアップされました。
「プラカードの写真にある『創価学会の4悪人』及び『千葉英二副署長』との文言を削除せよ−との件についてお答えします。このプラカードについては、当日これを作成してきた西村修平さんに私が、『創価学会の4悪人とあるが、千葉と須田の二人は創価学会員ではないよ』と言って『?マーク』を付け加えてもらった経緯もあります。/私自身は千葉氏が創価学会の信者であるなどとブログで書いたことは一度もなく、言ったこともありません」
など、千葉さんから提起された裁判をいまだに創価学会の訴訟乱発」「創価学会による言論弾圧などと呼んでいる西村修平を後ろから撃つような記述もありますが、全体としてはとくに目新しい内容はありません。


つっこみも、5月25日付〈【総括】大山鳴動して死屍累々――自称ジャーナリスト・瀬戸弘幸サンの「内部告発」ネタがもたらした犠牲〉等で基本的に済ませていますので、とりたてて付け加える必要もないでしょう。これでは裁判官が和解を勧め、弁護士がそれを丸呑みしたくなるのも当然という気がします。


ひとつだけ、陳述書で
「東村山警察署は朝木明代さんの転落死事件に関して、『万引きを苦にして自殺』と公表しました。しかし、遺書があったわけではなく、これは明らかに推測に過ぎません。彼女が万引きを苦にして悩んでいたというような情報は全くなく、警察もそのような事実を掴んでいません」
と述べている点については、瀬戸サンがこれを提出する1年前の判決(街宣名誉毀損裁判第1審判決、2010年4月28日)で次のように指摘されているのですから(太字は引用者=3羽の雀)、せめてこれを踏まえて陳述を行なうべきではなかったのか、とだけ指摘しておきます。言っても無駄なことは重々承知しておりますけれども。

d 被告は、本件窃盗被疑事件がえん罪であるから亡明代には自殺する動機がなかったと主張する((1)a)ところ、本件窃盗被疑事件がえん罪であるとする根拠(ア)について検討するに、直子が本件窃盗被疑事件当時亡明代が着ていた洋服と同じ洋服を着て写真(乙5の1・2)を撮影したこと((3))、北海党拓殖銀行村山支店において撮影された写真に○○の犯人識別供述と矛盾する映像があること((4))、亡明代にアリバイがあること((5))は、いずれもこれを認めるに足りる証拠はなく、本件窃盗被疑事件に創価学会の関与があるとする点((6))は確たる根拠がなく、他に本件窃盗被疑事件を亡明代が犯していないことを認めるに足りる証拠はない。
e 亡明代が平成7年9月3日に宗教法人法の改正の問題及び政教分離等について討論する市民団体のシンポジウムにパネリストとして参加する予定であること((1)e)が、同年8月27日、新聞に報じられているが(乙12)、これをもって、同年9月1日の本件転落死事件当時、亡明代が自殺するはずがないと断定できるものではない。そして、仮に他人により本件マンションから転落させられたため重傷を負ったのであれば、これを発見した第三者に対して、通常は転落の事実を申し述べるなどして、必死に救助を求めると考えられるところ、前記認定事実によれば、亡明代は、転落直後、重傷を負ったにもかかわらず、発見者に対して転落の事実を否定し、救急車の手配さえ断ったというのであり(上記イ(ア)(4))、これは亡明代が自分が本件マンションから転落し負傷したことの発覚をおそれたものとみることができ、他人により高所から転落させられるような危害を加えられた者の言動としては不自然であること、被害者が亡明代が犯人である旨供述し、被害者が現場から犯人を追跡し、被害品を取り返したところなどを目撃した第三者らもこれに沿う供述をしていたこと、亡明代がレジジャーナルの写しをアリバイの証拠として提出したが、原告ら捜査機関において裏付け捜査の結果、アリバイの主張は信用性がないと判断されており、警察官による被疑者取調べや原告による広報(上記イ(ア)(1))などを通じて、亡明代もそのことを知っていたと考えられることなどに照らせば、本件転落死事件当時、亡明代を被疑者とする本件窃盗被疑事件が地検八王子支部へ書類送致されていたところ、検察官送致後、被疑者である亡明代が本件窃盗被疑事件につき、自己が今後起訴されて刑事責任を問われかねない厳しい立場に置かれていることを憂慮していたことがうかがえる。
 したがって、被告の主張するその余の点を考慮しても、本件転落死事件当時、亡明代に自殺の動機がなかったとはいえない。


なお、瀬戸サンは宇留嶋さんから訴えられた第2次せと弘幸Blog『日本よ何処へ』裁判被告側第1準備書面も掲載し、
「それ(和解の受け入れ)に対して卑劣などと書いているので、その記事に対する謝罪を雑誌社に求め、受け入れなければ今度はこちらから訴える考えですが、現在の民事訴訟の判決を頂いてから行ないます」
などと書いていますが、このあたりの話についてはまた気が向いたらつっこみます。


ところで、クロダイ(黒田大輔)らは9月1日の夜に「朝木明代市議追悼」云々と題した生放送を行なっていましたが、そこで
「実行グループの構成員だった方が脱会されて、その手の話しがポロポロ出てきています。FBIでは有りません。実行犯グループから新たな証拠が出てきたら、今までの判決も覆ります」
などと口走っていたようです。米国のFBIに出入りする者から聞いた話をもとに朝木明代議員追悼集会(昨年10月2日)「FBIの内部情報」とかなんとか言っていたらしい瀬戸サンにさりげなく嫌味を言っているところが何とも言えませんが、この間の経緯をずっと見てきた者からすれば「またかよwww」という話にしかなりません。
「後藤さんがすべてしゃべってくれればすべて解決」
「密会ビデオの話が世に出てくれば大どんでん返しもあると思います」

という、かつて表明していた願いも結局かないそうにありませんしね。


そういえば、2008年12月23日の段階でこんなことを言ってた人達もいましたっけね。


速やかな犯人の逮捕にご協力を!
 犯人逮捕につながる情報提供者への懸賞金は、すでに実行犯の絞込みが進んでおり、2008年12月23日をもって終了致します。ご協力に感謝いたします。


懸賞金の話については以下の記事のほか、松沢呉一の黒子の部屋〈お部屋1621/朝木明代市議転落死事件「懸賞金1千万円」の謎を解く〉も参照。

*1:8月30日付(2011/08/29 17:32:28)、9月1日付(2011/08/31 16:25:38)、9月2日付(2011/09/01 19:02:21)。