「いのちとこころの人権の森宣言」その後


『最後のパレード』問題に関する「公式見解」については橋本玉泉さんにお任せするとして、(株)外部の専門家のトップページに〈◆「最後のパレード」に関する公式声明を発表しました〉という一文が加わっていましたので、記録しておきます(魚拓)。



さて、昨日付の記事で触れようと思いつつ、長くなったので後回しにした件をいくつか取り上げておきましょう。


まず、市議会9月定例会では[http://www.city.higashimurayama.tokyo.jp/~kakukaweb/001000/gian-kekka/giin/2109.htm:title=6本の意見書]が採択されたようですが、矢野穂積・朝木直子両「市議」は[http://www2.atwiki.jp/kusanonemaze/pages/42.html:title=例によって採決時に議場から退場]し、「[http://www.city.higashimurayama.tokyo.jp/~kakukaweb/001000/ikensyo/2109/09.htm:title=政治資金のさらなる透明性を求める意見書]」や「[http://www.city.higashimurayama.tokyo.jp/~kakukaweb/001000/ikensyo/2109/11.htm:title=母子世帯への支援強化を求める意見書]」にも、実質的に反対の意を示したのでしょうか。


「[http://www.city.higashimurayama.tokyo.jp/~kakukaweb/001000/ikensyo/2109/10.htm:title=核兵器廃絶へ日本政府が主導的役割を果たすことを求める意見書]」などは、[http://d.hatena.ne.jp/three_sparrows/20090602/p1:title=「憲法九条第1項、第2項堅持を求める意見書」への対応]からして賛成してもよさそうなものですが、[http://d.hatena.ne.jp/three_sparrows/20090601/p1:title=「北朝鮮の核実験に抗議する緊急決議」のときも採決には加わらなかった]そうですから、やっぱり賛成しなかったんですかね。


次に、矢野穂積・朝木直子両「市議」が「まやかし」「歴史の『隠蔽美化』」「政治ショー」などと批判し続ける「いのちとこころの人権の森宣言」*1は、多磨全生園設立100周年にあたる9月28日に告示され、[http://www.city.higashimurayama.tokyo.jp/~kakukaweb/006000/jinkennomori.htm:title=市のホームページにも掲載]されました。[http://www.city.higashimurayama.tokyo.jp/index.html:title=トップページ]の新着情報にも、〈(9月30日掲載)「いのちとこころの人権の森宣言」を行いました〉と告知されています。


久しぶりにブログを再開した鈴木忠文市議の〈[http://tyubunn.blog.ocn.ne.jp/berumokku/2009/10/post_37b3.html:title=東京多磨全生園百周年記念式典に参加して]〉も参照。全生園は、東村山市における人権教育の推進にとっても貴重な存在となっていることがうかがえますが、市議会で小学生が作文を朗読したことを「政治ショー」と切り捨て、作文に感動した「ムラ議員」に「あきれ返る」矢野・朝木両「市議」(〈[http://www.geocities.jp/higashimurayamasiminsinbun/page260.html:title=『倶会一処』]〉)は、きっと人権教育などどうでもいいとお考えなのでしょうね。


ところで、矢野・朝木両「市議」は、この「宣言」について、


「政治哲学ゼロ(助役のイスをめぐって創価癒着元暴力団が暗躍した)創価系元助役主導の・・・まやかし」([http://www.geocities.jp/higashimurayamasiminsinbun/:title=トップページ])
「創価系元助役が主導し自公連立ムラ市長が利用しただけの政治ショー上演」(〈[http://www.geocities.jp/higashimurayamasiminsinbun/page260.html:title=『倶会一処』]〉)


などと言っています。



トップページから〈[http://www.geocities.jp/higashimurayamasiminsinbun/page068.html:title=親「創価公明」の証]〉というページにリンクが張られているとおり、これは平成12(2000)年1月から平成19(2007)年5月まで助役/副市長を務めた澤田(沢田)泉氏のことです。〈[http://www.geocities.jp/higashimurayamasiminsinbun/page068.html:title=親「創価公明」の証]〉には、次のように書いてあります。

 最近転入された市民の方は、ご存知ないだろうが、この「澤田泉」という人物、とんでもない経歴の持ち主なのだ。
 まず、先々代の市川市長の秘書課長を「茶坊主」よろしく長年つとめ、このため、いきなり部長級(福祉部参事)に昇進したが、都市建設部を一時担当したくらいで、ちょっと福祉をかじった程度だったが、人ぞしる創価系人物なのだ。
 前任助役が池谷氏が切れ物で、まず池谷氏がいる限り、助役にあがる可能性はない、と見られていた。
 ところがだ、池谷氏が助役になって1年あまりで、とんでもない、追い落とし劇が起きた。
 一般職と違って、特別職の助役は、朝も夜も、一般職の出退時刻には関係なく夜も遅く、朝もはやいときだってある。常識ではあるが、法令上、特別職には出退時刻の決まりはない。
 ところが、この池谷助役は夜遅いことから、朝が遅く、一般職の出勤時刻8時半を遅れて登庁することが多かった。ここに目をつけた、元暴力団幹部で創価系の人物が、なんと「池谷助役は遅刻が多い。遅刻分の給料をかえせ」という監査請求を提出した。
 このことがきっかけで、池谷助役は辞任した。就任わずか1年余の時期にだ。
 そして、後釜に座ったのが、澤田前助役なのだ。したがって、この経過をみるだけで、澤田という人物の実像がわかる。


XENONさんがさっさとつっこんでくれていたように、佐藤市議に対する因縁づけのためのページに過ぎないわけですが、〈保育園利権疑惑追及(1)〉というページを見ると、2003年10月12日付でこうも書いてありました(一部固有名詞をイニシャルにした)。

澤田という人物
▼ 「居眠り教団」創価学会党に負けず劣らずなのが正面、市長となりの助役席澤田泉という人物だ。
▼ 居眠りを、ハッと自覚し、それをごまかそうとする仕草、毎回同じパターンなのが、実におかしい。
 居眠りしたのに気づき、周囲を見回して、失笑を買っているのを知って、「うるさい!」などと言って開き直るモタイ市議とは大きな違いだ。
▼ しかし、澤田氏はよく寝ている。細渕市長も寝るが、これほどではない。前の池谷助役といい勝負だ。
▼ 創価学会党市議や「遅刻」問題で監査請求までしたS商会・M某らが、この池谷前助役を1期目早々に、辞任に追い込んだことに、関係したのではないか、と未だに囁かれている。
▼ 市川前市長の秘書課長を務めたことで、部長に昇格。市役所各所管部長職の経験も広くない中での「助役昇格」 やっかみ半分で、その手腕には疑問の声も続いている。


未だに囁かれている」という話がいつの間にか「助役のイスをめぐって創価癒着元暴力団が暗躍した」(トップページ)という断定形にすりかわっているのですが、会議録を確認すると、澤田氏の前に助役を務めた池谷氏に対する監査請求は、どうやら池谷氏の助役就任前に行なわれていたようです(平成9年東村山市議会8月臨時会〔平成9年8月8日〕会議録、「△日程第5 議案第33号 東村山市助役の選任について同意を求める件」以下のやりとりを参照)。


となると、「このこと〔監査請求〕がきっかけで、池谷助役は辞任した」という「東村山市民新聞」の記述はいささか怪しくなってきます。


池谷氏は平成11年12月31日をもって助役の座を降りることになり、同年12月20日の本会議で、澤田氏の助役選任について議会の同意が得られました(△日程第17 議案第85号 東村山市助役の選任について同意を求める件)。このときは、池谷氏の突然の辞任について若干のやりとりが交わされていますが、監査請求の話は出ていません。このときも同趣旨の監査請求が行なわれた可能性もありますが、矢野・朝木両「市議」が時系列を間違えている/歪めているだけ*2という可能性もあります。


いろいろ腑に落ちない点がある騒動だったのは確かなようですが、「助役のイスをめぐって創価癒着元暴力団が暗躍した」と決めつけるだけの根拠も、矢野・朝木両「市議」側からは提示されていません。〈保育園利権疑惑追及(1)〉の記事が書かれたのが、りんごっこ保育園と東村山市が裁判所で争っている最中のことだったことを考えれば、なおさら眉に唾をつける必要があります(2008年9月16日付〈「官製談合疑惑」は5年前の出来事の繰り返し?〉も参照)。


まあ、矢野・朝木両「市議」が澤田元助役の件を持ち出したのは「宣言」に言いがかりをつけたい一心からとしか思えませんので、これ以上は踏み込みません。矢野・朝木両「市議」が「疑惑」をいつの間にか「事実」にすりかえてしまう、そのプロセスの一端を垣間見れたような気がします。なお、澤田氏と現市政との関わりについては、佐藤市議や薄井市議も若干の疑問を呈したことがありますので、いちおうご紹介しておきましょう。


そういえば、9月30日は「東村山駅西口再開発事業を現計画のまま行うことについて市民の賛否を問う住民投票条例の制定を求める東村山市条例制定請求」の署名が始まってからちょうど3年目だったようで、佐藤市議薄井市議がそれぞれ触れています。ちょうどこのころ、朝木直子「市議」は、佐藤市議を攻撃するため、佐藤市議の家族が暮らす日野のマンションで熱心に張り込みをやってたんでしたっけね。

*1:9月26日付〈【総括】いのちとこころの人権の森宣言:何の取り組みもせず、当事者の気持ちを無視し、因縁だけをつける矢野・朝木両「市議」〉参照。

*2:朝木明代市議転落死事件の発生時には接点がなかった千葉英司・元東村山署副署長と宇留嶋瑞郎さんについて、〈事件発生当時の東村山署のあの千葉英司元副署長と「ライター」の関係は?〉という印象操作だけのページを掲載し続けている点も参照。この点については、3月6日付〈広報マンなのに「草の根」にブーメランを投げつける瀬戸サン〉、3月9日付〈市議会の具体的報告はせずに他人の攻撃に終始する矢野・朝木両「市議」〉、3月29日付〈宇留嶋さんの信用を貶めようとすることだけに必死な矢野・朝木両「市議」〉、6月5日付〈市議会傍聴者を名指しで侮辱し続ける矢野・朝木両「市議」〉等で重ねて批判してきたが、一切改善が見られない。