一犬 虚に吠ゆれば万犬 実を伝う


そうですよね「万引き程度で総理大臣が辞めてたらどうなる」なんて言ってたらいけませんよね。
だいたい、品物を取り返しておいて問題にするほうがおかしいのよ
商品がなくなったわけでもなく、実害のない事件に警察が被害届を取り上げたこと自体、政治的な動きと言わざるをえない
とかいう発言も問題だと思いますけどね。


さて、宮原守男ほか著判決 訴権の濫用――断罪された狂言訴訟日本評論社)を図書館で見かけたので、借りてきました。創価学会が言うところの「信平狂言訴訟」(判例評釈〔PDFファイル〕も参照)について学会側の弁護団がまとめたもので、りゅうさんも〈まきやすとも氏らの主張する「訴権の濫用」は100万件に1件の超激レアケースです〉や〈100万件に1件の「訴権の濫用」とは?〉で紹介していた本です。


朝木明代市議転落死事件とは関係のない話なのでわざわざ買ってまで読もうとは思わず、流していたのですが、3年近く東村山問題を追ってきた身で読んだら、大変面白い内容でした。言論弾圧のための訴権の濫用を戒めるなどと口走るまきやすともも、できれば読んでおいた方がいい。法的な話がメインなので、わかりやすく書いてあるとはいえ、無理かもしれませんけど。ちなみに、弁護士の出身大学に無闇にこだわる人がいますので紹介しておくと、共著者として名を連ねている4人の弁護士は全員 東京大学法学部卒だそうです(そして弁護団長の宮原守男弁護士はクリスチャンだそうです)。


関連年表を見るとわかるように、これは朝木明代市議万引き被疑事件転落死事件(1995年7〜9月)からほどなくして発表された、「沈黙を破った北海道元婦人部幹部『私は池田大作にレイプされた』」(『週刊新潮』平成8〔1996〕年2月22日号)と題する「手記」をめぐって起きた裁判です。漠然と、もっと昔の話であるかのように思っていましたが、時代的背景は同じなのですね(追記〔12月31日〕:りゅうオピニオン〈いわゆる創価学会をめぐる「3大デマ事件」とは〉も参照)。


何が面白いといって、「訴権の濫用」を断罪された原告側(池田大作氏にレイプされたと主張して損害賠償請求訴訟を提起した信平醇浩・信子夫妻)のハチャメチャな主張や行動にいちいち既視感を覚えてしまうところがたまりません。昨日付の記事でも書きましたが、やっぱり同じような人達は(多少の程度の差はあっても)同じようなことをやるんですね。


たとえば、第1審で原告側は裁判官の忌避を申し立てたのですが、その理由が
「三人の裁判官は被告〔池田大作氏〕の圧力、あるいは被告の属する宗教団体の圧力に影響を受けている」
からというもの。最近ブログを開設してハッスルしているNさんをはじめ、いろいろな人の顔や名前が浮かびますね。挙句に、「裁判所に対して被告関係者らからどのような働き掛けがあったか、どのような事態が発生したのか、一私人に過ぎぬ原告らには知る由もない」んですって(60ページ)。


要は、“よくわかんないけど創価学会から圧力を受けているに違いない!”という意味不明な主張ですから、却下されるのも当然です(どうやら訴訟の引き延ばしを図っただけだったようです)。裁判官の忌避といえば、最近ではまきやすとも(写真著作権侵害裁判)が思い出されますが、まきでさえ、自分に不利な仮処分決定を行なったのと同じ裁判官では公正な裁判を期待できないという、一応はそれらしく聞こえる理由を述べていましたよ(もちろん却下)。


そういえば、矢野・朝木両「市議」も、「東村山市民新聞」事件裁判官忌避申立てを行なっていた(そして申立てが却下されたことを報告しなかった)んでしたっけ。


声紋鑑定の話も出てきます。細かい話は省きますが、創価学会側が提出した録音テープ(もちろん原告にとって不利なもの)について、原告側は「テレビにも時々出演するなど比較的有名な声紋鑑定家といわれるS氏」に声紋鑑定を依頼し、「テープに録音された声は信平信子氏の声ではないことが判明した」という鑑定結果を得たというのです(88−89ページ)。


朝木明代市議の最後の声の録音テープを鑑定したという、鈴木松美氏(日本音響研究所)のことですね。第1審判決では、次のように、鑑定結果の信頼性を真っ向から否定されています(太字は引用者=3羽の雀)。

エ ・・・元警察庁科学警察研究所副所長鈴木隆雄作成にかかる意見書・・・によれば、声紋とは、同じ言葉又は発音の音声を周波数分析して得られる周波数の分布状態をいい、声紋鑑定とは、この声紋を比較し、その同一性の有無を鑑定するものであると認められるところ、これを前提として考えると、甲四三の一の〔鈴木松美氏による〕声紋鑑定は、同じ言葉又は発音の音声の中央周波数を比較するという手法を採用しており、声紋鑑定の手法として妥当であるかどうか基本的な疑問が残るといわなければならない
 さらに、乙二九〔録音テープ〕は、平成四年五月一四日に録音されたものであるのに対し、甲四三の一において比較対照に供した信子の声は、右時点から七年近く経過した時点で録音されたものであり、信子の声自体も変調している可能性も考えられ、しかも、乙二九は、電話における会話を録音したものであるのに対し、比較対照に供された信子の声は電話を通したものではないというのであるから、甲四三の一は、比較対照に使用された資料の適切性という観点からみても疑問がある。そもそも、乙二九の録音テープ自体が正確に反訳されていることに争いはないところ、乙二九によると、信子と鶴岡との間の会話の流れは、それ自体自然であるし、そのような自然な会話の流れの中で、鶴岡が、信子に対し、原告が電話のそばにいるか否かを尋ね、いるのであれば替わるようにと言われて信子が原告と替わっているのであるが、仮に乙二九が偽造されたものであるとすると、信子の声だけでなく、原告の声も偽造されていることになり、似た声の人物二人を用意して録音テープを偽造したということになるが、そのような事態は経験則上想定しにくい。加えて、乙二九の内容は、同日に録音された乙二八における信子の会話の内容とも整合しているから、その意味でも、偽造されたものとみることは困難である。
 さらに、右鈴木隆雄は、自らも声紋鑑定をし、「乙二八に録音されている女性の声は、乙二九に録音されている女性の音声とは、同一人の音声である」との結論を出している(乙八一)。以上によれば、結局、乙二九が偽造により証拠能力を欠くものであるとする主張には理由がないといわざるを得ない。


おまけに、鈴木松美氏による鑑定の信憑性を検討するため、鈴木松美氏が検討材料とした信平信子の肉声録音テープを提出するよう、創価学会側が原告側に求めたところ、原告側は提出を拒否。しかも、裁判中にあらためて提出を求めたところ、「廃棄処分済み」との返答があったそうです(95−96ページ)。


そういえば、矢野「市議」も録音テープ絡みで不自然な行動をとっていたみたいですね。

 矢野のいう明代の「ファイナルメッセージ」については、矢野は「他殺の証拠」と主張してTBSには録音テープを提供したが、警察には提出していない。西村代理人は「警察は押収できた」と主張するが、事件性がない(殺人事件ではない)と判断している東村山署が捜査令状を取ることはないし、捜査令状がなければ押収することはできない。「明代は殺された」と主張する同僚と遺族が「重大な証拠」をマスコミには自発的に提供する一方、警察にはいっさい提出しないことを、代理人は不自然とは考えないのだろうか。
(エアフォース〈西村修平事件第6回口頭弁論(その13)〉)


なお、朝木明代市議の最後の声が「生命の危機に瀕した極度の緊張状態を示す周波数変化であった」という鈴木松美氏の鑑定結果は、「聖教新聞」裁判でも、矢野・朝木両「市議」が「殺害」説を裏づける根拠のひとつに挙げていましたが、東京地裁判決では、他のさまざまな根拠とともに、
「原告らが本件死亡事件について存在したとする右(2)の事実が全て真実であったとしても、それは被告創価学会と対立していた原告らにとって、本件各事件への被告創価学会の関与について疑いを抱かせるようなものではあったとしても、客観的に見れば、被告創価学会と本件各事件とを結びつける根拠としては極めて薄弱というべきである」
と判断されました。


他に、証拠偽装の話もあります(119−127ページ)。池田氏に「抗議の手紙」を送ったことの証拠として全然別の手紙(学会員間で金銭貸借はしていないと訴える内容)の「書留郵便物受領書」を提出したり、原告ら主張の事件とはおよそ関係ない「診断書」(原告が自転車に接触されたときのものである可能性がある)を被害の証拠として提出したりと、常人にはいささか考え難い行動をとっているのですが、あんまり驚かなくなってしまった私は、どうも「東村山の闇」に浸り過ぎてしまったようです。


ちなみに、原告は他の裁判でも証拠改ざんを行なっていたようで、地裁判決では次のように厳しい指摘が行なわれています(太字は引用者=3羽の雀)。

函館地裁昭和六一年(ワ)第一五〇号事件判決は、その理由中で、原告の提出した書証のいくつかについて、金額欄の明白な改ざん、訂正印のない作成日付の変更を認めている。この点は、一見小さな事実にみえるが、原告の民事訴訟手続の利用における姿勢を示すものとして見逃すことのできないものがあると評すべきである。


この「信平狂言訴訟」を大宣伝したのがご存じ週刊新潮日蓮正宗妙観講の機関紙『慧妙』ですが、後者の見出しのつけ方がまた既視感を募らせてくれます。たとえば第一報の見出しは次のようなものでした(28ページ。りゅうオピニオンでも紹介)。


〈緊急予告 ついに発覚!! 池田大作の壊滅的悪行 近く報道を開始の予定! 乞うご期待〉(平成8年2月16日号)


思い出しますよね、東村山市民新聞」のこの↓見出し(11月17日付更新)。


チバ元副署長が、決定的事実を供述!
・・・近日、詳細アップロード。乞うご期待!
  *  *
これが、「暗殺依頼密会ビデオ」の根拠報道だ!なぜ「フォーラム21」記事を提訴しないか!関係者が震撼し、必死に存在を隠匿する事件究明の決定打!近日、詳細アップロード、乞うご期待!


他にも、
〈強姦裁判 三回の口頭弁論を総括 窮地に立たされた池田大作!〉〈これでは「強姦」を認めているも同然!〉(平成9年3月16日号)
〈「時効判決」で「勝利」とは笑止千万 池田まっ青! まだまだ続く“レイプ裁判”!〉(平成9年12月1日号)
のような、東村山市民新聞」テイストの見出しが目に付きます。東村山市民新聞」の見出しのつけ方のルーツは、案外このあたりにあるんですかね(2008年12月15日付〈妙観講とも仲良しですか?〉も参照)。


ちなみに、自民党も機関紙『自由新報』や国会で信平「手記」を取り上げて創価学会を攻撃したのですが、けっきょく「手記」が虚偽であったことを認め、次のように「遺憾の意」を表することを余儀なくされました(161ページ)。

 記事掲載の当時のことを考えると、調査不十分のまま一方の当事者の主張のみを採用し、まったく意図とは別に結果としてその虚偽をあたかも容認することになった点は不適切であり、申しわけなかったと考え、遺憾の意を表します。
(『自由新報』平成10年4月28日付、与謝野馨広報本部長名)


これに対し、“『自由新報』で虚偽と書いたのは名誉毀損だ!”と主張して信平夫妻が自民党を訴えたというのですから、これまたどこかで聞いたような。もちろん、自民党が「手記」を虚偽と信じたことには「相当の理由」があるとして、請求は棄却されたそうです(162ページ)。


なお、今日のエントリーのタイトルは、本書135ページで紹介されていた言葉からとりました。「一人がでたらめを言うと、多くの人がそれを真実として伝えてしまう」といった意味です。
「嘘には足がない。なぜなら嘘は一人で立つことができないから。実際、一つの嘘は二〇の支えを必要とする。それでも躓きの危険は絶えることがない」
という法諺も紹介されていたのですが(166ページ)、矢野「市議」や瀬戸サンは他人を犬呼ばわりするのがお好きですから、こっちにしました。そういえば、矢野・朝木両「市議」は東村山市議会でも
犬は吠えても、歴史は進む!
などとおっしゃってましたっけか(2008年3月18日付更新)。


なお、このような発想については矢野絢也公明党元書記長が国会で次のように批判していますので、ついでに紹介しておきます(昭和51年9月28日、太字は引用者=3羽の雀)。

 私があえてこの問題〔いわゆる共産党のスパイリンチ事件〕の質問に踏み切りましたのは、共産党の諸君が「犬がほえても歴史は進む」と、みずからに対する批判者を犬扱いする体質、これは戦前の権力者が共産党の諸君をアカ呼ばわりしたと同じ発想で、批判拒否、独善そのものではないかと、私は疑問を持つからであります。(拍手、発言する者あり)