人権感覚の違い・・・というより有無


(以下の記事を書いたあとに、佐藤市議のブログにこんな面白い記事が載っていることに気づいたので、とりいそぎ告知。私も本日10時からの予算委員会の傍聴に行きたいのですが無理なので、とりあえずりんごっこ保育園の平成18年度収支決算報告書はどうなってるんでしょうかとだけつっこんでおきます。)


3月17日は「最終更新日」の修正のみだったようです。というわけで今日は1996年の東村山市職員横領事件をめぐる矢野・朝木両「市議」と薄井市議の考え方の違いについて考えてみましょう。


ちょっと前の記事になりますが、薄井市議は1996年に事件を起こした市職員の氏名が市議会の議事録に残されていることについて疑問を呈しています。


★薄井市議ブログ(3月2日付)「罪を憎んで・・・」
http://usuimasayoshi.blog98.fc2.com/blog-entry-262.html

以前に「1996年の不祥事」という記事を書いた。その時に1996年8月30日開催の臨時会の会議録を私は読んだのだが、そこには横領した職員の名前がハッキリとフルネームで明記されていた。今から12年前の話だというのに……。
横領は犯罪だ。だからこそ当時は名指しで各議員、追及したのだと思う。しかし、横領した職員Iは逮捕され、1年4カ月の実刑判決を受けている。すでに罪を償い、社会生活に復帰しているハズだ。
しかし会議録ではいまだに犯罪者扱いだ。これっていいのだろうか? 人権の観点から問題ないのだろうか?
文書として出てしまった会議録は修正できないだろうが、今も見られるネット上の会議録はイニシャルなどに修正すべきではないかと私は思う。


確かに犯した罪は重い。でも償ったあとは、一般人として扱うべきではないだろうか?」というのが薄井市議の考え方です。十分に検討に値するものだと思います。


一方、矢野・朝木両「市議」はどうでしょうか。今回の横領事件が両「市議」にとっては創価叩きのネタでしかないことはすでに2月14日付の記事で指摘しましたが、いつのまにか過去の「東村山市民新聞」(78号、1996年9月18日付)をわざわざスキャンしてウェブサイトに掲載し、1996年に横領を行なった職員の実名のみならず顔写真までさらしていました。こんなページに直リンクは張りたくないのでやめておきますが、リンク元は次のページです。


■96年創価地元幹部の市職員1300万事件に続き2度目の市職員横領事件
http://www.geocities.jp/higashimurayamasiminsinbun/page157.html


リンク元の見出しは「96年創価地元幹部の市職員1300万事件」。何のつもりか知りませんが、赤鬼が金棒を上下させているおかしなアイコンまでついています。(ちなみに「1300万事件」というのは「1300万横領事件」のつもりでしょう。)


名誉毀損訴訟にお詳しい(はずの)矢野・朝木両「市議」のことですから、ノンフィクション「逆転」事件(リンク先はWikipedia)における最高裁判決は当然承知していることでしょう。ここでは甲斐素直「プライバシー及び名誉毀損」から要旨を紹介しておきます。

ある者が刑事事件につき被疑者とされ、さらには被告人として公訴を提起されて判決を受け、とりわけ有罪判決を受け、服役したという事実は、その者の名誉あるいは信用に直接にかかわる事項であるから、その者は、みだりに右の前科等にかかわる事実を公表されないことにつき、法的保護に値する利益を有するものというべきである。〈中略〉そして、その者が有罪判決を受けた後あるいは服役を終えた後においては、一市民として社会に復帰することが期待されるのであるから、その者は、前科等にかかわる事実の公表によって、新しく形成している社会生活の平穏を害されその更生を妨げられない利益を有するというべきである。


ただし、これには例外もあります。その要件は次のとおりです。

第一に、「事件それ自体を公表することに歴史的又は社会的な意義が認められるような場合には、事件の当事者についても、その実名を明らかにすることが許されないとはいえない。」
第二に、「その者の社会的活動の性質あるいはこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによっては、その社会的活動に対する批判あるいは評価の一資料として、右の前科等にかかわる事実が公表されることを受忍しなければならない場合もあるといわなければならない」
第三に「その者が選挙によって選出される公職にある者あるいはその候補者など、社会一般の正当な関心の対象となる公的立場にある人物である場合には、その者が公職にあることの適否などの判断の一資料として右の前科等にかかわる事実が公表されたときは、これを違法というべきものではない」

元職員の実名と顔写真をさらすことは、これらの要件に該当するのでしょうか。シンブンは、何の説明もなく過去の記事を掲載しているだけです。

いずれにせよ、薄井市議と矢野・朝木両「市議」の人権感覚には大きな違いがあるという印象を持ちました。いやむしろ、矢野・朝木両「市議」には基本的に人権感覚が欠如していると言うべきでしょうか。


【追記】この問題については、薄井市議が「どういう扱いになるのだろうか?」(2008年4月17日付)でもあらためて取り上げています。ついでにトラックバックを飛ばしておこうかな。