「気持ち悪い」を基準に行動する朝木直子「市議」


今日も「最終更新日」の修正だけのようですね。「セクハラ」ねつ造問題にしても、「越境通勤市議」言いがかり問題にしても、都合の悪い情報に頬かむりを続けていたら、ますます不利になるのがわからないんですかね。わからないんでしょうね。


さて『紙の爆弾』6月号の「東京・東村山『りんごっこ保育園』にまつわる疑惑の数々」という記事を読みました。書き手は、日刊サイゾーで矢野・朝木両「市議」に取材拒否された橋本玉泉さんでした。


食中毒疑惑事件」、「認可規準違反疑惑」(職員配置問題)、そして「保護者ロックアウト疑惑」を中心に、5ページにわたって追及が行なわれています。しかし、りんごっこ保育園に電話取材を試みても、誰も電話に出ないので話ができなかったそうです。


当然、矢野・朝木両「市議」(りんごっこ保育園運営委員)にも取材を試みていますが、例によって取材拒否。最近では4月16日に東京地裁八王子支部に現れた2人に声をかけたそうです。この日は「久米川東住宅管理費未払い」裁判と「請願つぶし」裁判ダブルヘッダーでしたかね。両「市議」の対応は次のとおり(太字は引用者=3羽の雀)。

朝木氏は筆者の顔を見るなり表情を歪め、「気持ち悪い」と言いながら足早に去ろうとした。一方、矢野氏はいつものようにニヤニヤと笑いながら何も言わないまま去ろうとした。そこで筆者はその後を追いかけ、「お聞きしたいことが」と告げたが、矢野氏は振り向きもせず「アンタとはもうお付き合いはしませんから」と笑いながら答えた。最後に、両市議へのねぎらいに「お疲れさまでした」と声をかけると、朝木氏だけが一瞬振り向くと、筆者の顔をにらみつけて「ああ、気持ち悪い」とだけ言った。


注目は朝木「市議」の対応ですね。他人様に和解金を投げて寄こすことといい、他人の顔を見て「気持ち悪い」を連発することといい、まったくどういうしつけを受けてきたのか、家庭教師の顔を見たくなりますな。こんな人たちが“どうやって教育を語るのかしら”。


いま引用した「どうやって教育を語るのかしら」というのは、東村山市民新聞第158号(2007年8月29日付)第1面で、市内で出されている薄井市議批判として挙げられている声のひとつです。そこでは同時に、「きもち悪い」という声も挙げられています。この声はどうせ朝木「市議」の心の声だろうと思っていましたが、橋本さんの記事を見ると、やっぱりそうでしたね。


朝木「市議」は、「セクハラ」ねつ造文書をめぐる市のヒアリングでも、「『相手が女性をどう見ているか』を考えると、同僚として働くことに大変苦痛を感じる」と述べています。これもけっきょく「気持ち悪い」ということです。


普通なら、「気持ち悪い」などという個人的・生理的・感情的基準で公的言動を行なうことは容認されません。背景にそういう感情があるにしても、それを正当化するための建前というものが必要になります。その建前として利用されやすいのが「セクハラ」とか「子どもの教育・保護」で、矢野・朝木両「市議」はその両方(とくに「セクハラ」)に飛びついたわけです。けれども建前を徹底するだけの能力もないので、すぐに見透かされてしまう。


性風俗を敵視し、何のためらいもなく「有害業務」と呼び続けるのも、少なくとも朝木「市議」の場合には、このような生理的嫌悪感が根底にあるからと見て間違いないでしょう。「根底にある」というより、すでにあらわになってしまっていますが。要は、性風俗に携わる人たちなど男女を問わず「気持ち悪い」と思っているわけで、「女性差別」とか「女性蔑視」などは単なる後付けにすぎません。


「気持ち悪い」という感情を持つことは誰にでもありますが、普通なら、その感情を他人にぶつけることには慎重になるものです。まして、人権とか差別についてまじめに考えている人なら、差別や迫害につながりやすい、「気持ち悪い」という感情そのものを問い直そうと試みるものです。つまりは、他人に対して「気持ち悪い」という言葉や感情を平気でぶつける朝木「市議」が、“どうやって差別や人権を口にするのかしら”ということですな。


ちなみに矢野「市議」の場合には、生理的嫌悪感はひょっとしたらそれほどではないかもしれませんが、性風俗関係者に対する差別意識は露骨です(たとえば5月5日付「やっぱり意図的ねつ造だったんですね」参照)。まったく、こんな人たちが“どうやって保育を語るのかしら”。