ただいま


恥ずかしながら、帰ってまいりました。・・・と横井庄一さんの言葉を引用してみても、1972年の話ですから朝木「市議」にはわからないかもしれません。矢野「市議」にはわかるでしょう。


横井さんはとりあえず平和な日本に帰ってきましたが、私は不穏な東村山に戦線復帰です。とはいえ、私はあくまで空中からの後方支援しかできませんから、松沢さんがおっしゃるように、地元市民にがんばっていただかないといけません。矢野「市議」が中心となって築き上げてきた「柔らかい恫喝体制」に対して声を挙げたい方は、この日記の内容が役立つなら、どしどしご活用ください。


さて、矢野・朝木両「市議」がのびのびと更新できるよう、せっかくわざわざ告知をして出かけたのに、「東村山死人シンブン市民新聞」はあいかわらず「最終更新日」を書き換えるばかり。空港のコイン式インターネットで100円払ってチェックしたのに、がっかりですね。ちょっと帰ってくるのが早すぎましたかね。


前回の実質的更新は4月29日付ですから、もう1か月以上、沈黙を保っていることになります。「最終更新日」は5月29日付と6月1日・2日付で修正されたようですから、週末はまたどちらかにお出かけだったのでしょうか。これなら告知をしないで出かけてもよかったのですが、いきなり更新がやむと呪殺でもされたかと心配する人もいるかもしれませんので、いちおうお知らせしておきました。


しかし、いくら首をすくめてやり過ごそうとしても次から次へとネタが発掘されるのが、ネット上で自然発生的に生まれてきた〈草の根〉監視網のすごいところです。東村山魑魅魍魎ブログ佐藤市議のブログC.I.Lにちょっと目を通すだけで、どこから手をつけたらいいものやら、途方に暮れてしまいそうになります。


でも、やっぱりとりあえずはりんごっこ保育園グループについて畳みかけておくべきでしょうか。5月28日6月1日にそれぞれトップページを更新し、保育士が何人いるのかはいつまでもはっきりさせないままどうでもいい自画自賛をしてみせているのは、それだけ追いつめられているということでしょうからね。ネタの宝庫である、東村山市議会3月定例会の議事録も公開されましたし。6月10日から始まる6月定例会でも、引き続き焦点になるでしょうし。


今日は帰ってきたばかりなのでこのぐらいにしておきます。とりあえず帰還のごあいさつと予告編ということで。


【追記】記事のアップがうまくいかなかったので何度も試みていたら、同じ記事が3回もアップされてしまいました。よぶんな記事は削除しましたが、RSSリーダーにはそのまま見出しが3回分載っています。やだなあ。まあ気にしないでください。