とぐろを巻く実存


最近私のことを「チンコなんて言葉を無闇に書いてはいけません」などと批判している人がいますが、問題の記事で使われている問題の表現はあくまでも「チンケな小物」を略したものであり、皆さんが想像しているようなものではありません。「追記でチンコネタって書いてるじゃん」とつっこむ人もいるかもしれませんが、何と言われても、もうこれ以上私の方から申し上げることはございません。あとはサイパンで昇天します。


・・・さて小ネタはこれぐらいにして、松沢さんから「視点を置き換える能力」「複数の視点から見る能力」「俯瞰する能力」に秀でているのではないかとほめていただくと同時に、「3羽の雀さんはどういう方法によってああも全体像をきれいに見渡し、その中で個別の事象がどこに位置しているのかを把握し、複数の事象の関係を位置づけているのか」と関心を表明されましたので、何かお答えをしなければならないと思うのですが、正直よくわかりません。


「俯瞰する能力」→ 鳥だから
「複数の視点から見る能力」→ 3羽いるから


以上?


前に今はなき「やまだKING」のpumaさんから尋ねられたときにもお答えしたのですが、情報整理のために特別なことはしておらず、思いついたことをネタ帳(テキストファイル)に書き留めておく以外は、もっぱらパソコンとネットの検索に依存しています。空間把握能力は多少優れていると思いますが、普段から図像的イメージに頼ることはあまりなく、特に東村山問題については、もっぱら言語による抽象思考が中心です。せいぜい頭の中に年間カレンダーがあり、重要な出来事については“あのころ、こんなことがあった”とぼんやり覚えているぐらいでしょうか。言葉と言葉、概念と概念を結びつける回路が少し発達しているという面はあるかもしれません。


ただ、「視点を置き換える」「複数の視点から見る」「俯瞰する」ことができるかどうかは、おそらく能力だけの問題ではなく、「実存」の問題が大きく関わっているのでしょう。ゼリの根くさぷぅ〜グループの構成員が共通して有する、“異質なものに対する極度の不寛容さ”、“偏執狂的なほどのレッテル張り”、“ユーモア感覚(自分を笑う力)の絶望的欠如”といった特性も、おそらくそのへんに由来しているのではないか。これはもう外部の人間が少々批判したところでどうにかなるものではなく、それゆえに、AMUSを始めとする少なからぬ人間が、彼らとの理性的対話の可能性をあきらめて劇場型の闘いを選びつつあるのだと感じています。


まあ、ネットで見てる分にはけっこう面白いときもあるんですけどね。昨日も、クロダイブログのコメント欄にあった、


「藤巻くんおまえの本当の名前はうんことぐろ巻き君だろう!」
(金金ちょんすけ 2008/12/07 23:37)


という罵詈雑言に心惹かれてしまい、ブログを「うんことぐろ巻き君の日記」に改称しようかと一瞬考えてしまいました。もはや伝説となったウンコ写真UPエントリーのコメント欄(上にスクロールするときは注意!)にも、


「糞をとぐろ巻きにするとは、かなりの強者かも知れん」
(Posted by ナナシ at 2008年11月14日 21:08)


という爆笑コメントがありましたし、彼らはとぐろ系には強いようです。


でも、東村山市民に話題にしてもらえないと意味がありませんので、改称はやめておきましょう。いくらなんでも、「昨日のうんことぐろ巻き君の日記、見た?」などとは口に出しにくいですよね。松沢さんのお知り合いの出版関係者なら、引き続き「うんことぐろ巻き君はどこの誰か」「うんことぐろ巻き君はすごいね」と言ってくれそうですけど。略して“UTK”ならあり?


キンカクシ照れ隠しにウンコの話で締めてみました。ちなみに「東村山市民新聞」は、今日も「最終更新日」が「12月9日」に修正されただけでした。