やっぱり“創価が殺したとまでは言ってない”という理由で勝訴したに過ぎなかった『FORUM21』座談会裁判


いやー、西村修平サンの「私生児」差別発言は、事実だとすればひどいですね。瀬戸サンも、訴状の内容を紹介しつつ発言内容については否定していませんから、おおむね事実なのでしょう(4月21日追記:被告側は一部発言について否定しているそうです)。アムネスティや自由人権協会の会員だという矢野・朝木両「市議」が、こんな人達と手を組みながらその言動について一切の批判を行なわないとは、まったく声も出ません。


さて「東村山市民新聞」ですが、4月18日午後3時半過ぎ、〈創価本部、絶体絶命の逆転敗訴判決!〉(トップページ)の下にこんな文言が登場しました(「最終更新日」の変更はなし)。

池田大作元代表の側近・藤井富雄・元都儀らが黒柳明・公明元参院議員らに指示して「極秘メモ手帳強奪」を実行、録音を改ざんした謀略事実まで判決が認定!フランスでは「カルト」に認定、もちろん宗教法人格もなし。未だに創価のお先棒かつぎし、あの創価系ライターのうけうりを続ける「サンバ雀」ほか親創価匿名無責任ネット族も、この謀略体質にいまやコメントもなく、声も出ず。お気の毒ですね。


フェムト波動によると、「お気の毒」というのは「草の根」が中身のない主張をするときに用いる言葉だそうです。「焦っている」などとあわせ、こういう言葉の端々から「ゼリの根」の皆さんの心理状態を推測することができます。


それはさておき、「極秘メモ手帳強奪」の問題については別に創価学会を弁護するつもりもありませんので、大いに追及なさればいいんじゃないですか。フランスにおけるカルト指定の問題については異なる情報もありますし、「録音を改ざんした謀略」の件にあえて焦点を当てるならどうしたってブーメランになってしまうわけですが、それについてはあらためて触れるとしましょう。


それにしても不思議なのは、矢野「市議」自身も「創価学会が殺したとは言ってない」というのに、あいかわらず私のことを「創価のお先棒かつぎ」などと評していることです。要はそんなレッテル貼りぐらいしかできないということで、実は特に不思議でもないんですが。


しかし、矢野・朝木両「市議」があたかも重大な判決であるかのようにしきりに宣伝してきた『FORUM21』座談会裁判も、私が推測していた通り、“創価が殺したとまでは言ってない”という理由で勝訴したに過ぎないことがはっきりしてしまいました。以下、〈朝木事件および創価関連事件 判決全文〉のページに掲載された東京高裁判決(2008年6月17日の最高裁決定で確定)〔PDFファイル〕に基づいて見てみましょう。


本件裁判で取り上げられたのは、『FORUM21』2004年1月15日号に掲載された、〈やはり「他殺」だった朝木明代東村山市議怪死事件〉と題する座談会朝木直子矢野穂積乙骨正生)です。とりわけ、矢野「市議」が自ら聞いたと主張する、
告訴から3年間、十二分に捜査した結果、創価学会側(信者)が事件に関与した疑いは否定できない
という検事の発言(以下「検事発言」。判決では「本件問題部分」とされている)が問題になりました。概要は、2月20日付〈「検事発言」の宣伝は“選挙が近くなるまであっためる”と言う矢野「市議」の真意は〉をご覧ください。


それでは、東京高裁の判断を順番に見ていきましょう(以下、太字は引用者=3羽の雀)。わかりやすいよう、判決文中の「被控訴人」は「創価学会」に置き換えました。

(2)創価学会は、本件記事の読者は、本件問題部分に至るまでに、その文脈から、朝木市議転落死事件と創価学会に何らかの関連があるとの印象を持つに至ると主張するが、本件問題部分に至るまでの本件記事の記述は、・・・朝木明代市議が創価学会による人権侵害問題に取り組んでいたこと、捜査に関係した検察官2名が創価学会の関係者であったこと、創価学会が朝木明代市議を敵視していたこと及び創価学会が朝木明代市議の死は「自殺」であるとの大宣伝を繰り返していたことであるにすぎず、これを一般読者の普通の注意と読み方を基準として読んだ場合、その文脈から、朝木市議転落死事件と創価学会に何らかの関連があるとの印象と持つと認めることはできないというべきである。・・・(判決書8〜9頁)


要するに、普通の読者は、上記座談会を読んでも“創価学会がやったんだな”とは思わないだろうということです。この認定にはいろいろ疑問がありますが、ここでは触れません。


次に、検事発言についてはどうでしょうか。

(3)本件問題部分については、その内容が、控訴人矢野が別件で担当検察官と話していた際、たまたま創価学会代理人から架かってきた電話を聞いたというものであり、電話の相手である井田弁護士の発言を直接聞いたものでなく、検察官発言部分がどのようなやり取りの中でされたものであるかが明確でないことは、本件問題部分の文面から明らかであること、検察官発言部分に続いて井田弁護士がこのような会話があったことを否定している旨が記載されていることに加えて、問題とされている検察官の発言が「創価学会側(信者)が」事件に関与した「疑い」が「否定できない」というものであることに照らすと、本件問題部分を一般読者の普通の注意と読み方を基準として読んだ場合、創価学会が朝木明代市議を殺害したとの印象を持つことはないと認められる。(判決書9頁)


ここでもやはり、普通の読者は、この検事発言を見ても“創価学会がやったんだな”とは思わないだろうと認定されています。


2月20日付の記事で推測しておいた通り、ここではこのような検事発言が実際にあったか否か(検事発言の真実性)についてはまったく判断されていません。このような発言があったかなかったかはともかく、普通の読者は「創価学会が朝木明代市議を殺害したとの印象を持つことはない」ということです。これがなぜ「創価学会にとっては、大変な事態」(2月14日シンポジウムにおける矢野「市議」の発言)になるのでしょうか。


なお、上記でも指摘されているように、座談会では矢野「市議」が次のようにも述べています。


井田弁護士はその後、創価学会に対する別件の裁判に提出した陳述書で、この検察の処分の時期を偽るなどしてそうした会話はなかったと否定しています


しかし、この「別件の裁判」がどのような裁判だったのか、その裁判でどのような認定が行なわれたのかについては、明らかにされていません。つまり、その裁判でもこの検事発言の真実性は認められなかったと推測することができます。


そもそも、矢野・朝木両「市議」は、この検事発言(平成10年7月15日に行なわれたとされる)の後に創価学会や国を相手取って「創価新報」裁判(平成11年(ワ)第599号)を起こしているんですよね。そして、敗訴している(東京地方裁判所平成15年3月10日判決)。


この「創価新報」裁判については矢野「市議」が座談会でも触れていますが、提訴時期は明らかにしておらず、もちろん敗訴した事実も報告していません。それどころか、複数の裁判を混同することによってこれらの点を曖昧にしようとしている節も見られます。該当部分を引用してみましょう。

・・・平成9年の4月に東京地検が「他殺の確証は得られなかった」として、捜査の終結を発表した後、警察と検察が自殺と断定したという見出しをつけた「創価新報」が東村山市内で全戸配布されました。そこで私たちは、創価学会と「創価新報」の根拠となる判断を示した東京都(警察)、国(検察)を相手取って名誉毀損に基づく損害賠償請求訴訟を提起し、その審理の過程で、朝木明代さんの転落死を自殺と断定する証拠はなにもないと追及したのです。検察は「自殺の疑いが濃い」として捜査を終結したが、それは東村山署の杜撰な捜査報告を鵜呑みにしたものであり、検察は捜査を尽くしていない。その証拠にいまだに司法解剖の「鑑定書」すらないじゃないかと主張しました。
 すると被告の国側は、平成10年暮れの準備書面の中で「鑑定書は作っている」と主張してきたのです。しかしにわかには信じられませんでしたので、「鑑定書」を作成しているとの主張は信じがたいと批判したところ、朝木直子さんが説明したように救急隊の過失を問う訴訟で、アリバイを主張するかのように「鑑定書」を提出したのです。・・・


事件番号からもわかるように「創価新報」裁判は平成11年に提起されたものですので、この裁判で、国側が「平成10年暮れの準備書面の中で『鑑定書は作っている』と主張してきた」ことは考えられません。どう考えてもこの準備書面救急隊裁判(平成10年(ワ)第19793号)で提出されたものです。しかし、矢野「市議」は、あたかも「創価新報」裁判に提出された準備書面であるかのように語っている。何なんでしょうね。


いずれにせよ、公表されている「創価新報」裁判の判決抜粋を見る限り、検事発言については何ら触れられていません。したがって、この裁判では矢野・朝木両「市議」はこの検事発言の件を(なぜか)持ち出さなかったか、持ち出したとしても真実性・相当性を否定されたと考えることができます。この点からも、矢野「市議」が主張する検事発言には大きな疑問符が付くと言えるでしょう。


東京高裁判決に戻ると、東京高裁は、次のように述べて裁判所としての判断を締め括っています(〈 〉は引用者=3羽の雀が付したもの)。

(4)そうすると、本件記事を一般読者の普通の注意と読み方を基準として、記事全体を通読した場合には、朝木市議転落死事件は、〈朝木明代市議の自殺であるとして捜査は終結されたが、その後新たに判明した事実によれば何者かによる「他殺」であること、今後は更なる真相究明とともに犯人検挙が望まれること〉を訴える趣旨であることは読み取れるけれども、本件記事が、特定の個人なり、団体なりを朝木市議を殺害した犯人であると断定するものであることまでは、到底読み取ることはできない
(5)上記の検討によれば、本件記事は、朝木市議転落死事件は、創価学会が朝木明代市議を殺害した「他殺」事件であるとの事実を、明示的にも黙示的にも摘示するものとはいえないから、創価学会の名誉を毀損するものということはできない。(判決書9〜10頁)


はい、要するに“創価が殺したとまでは言ってない”ということですね。念のために注記しておけば、(4)の〈 〉内は本件座談会の趣旨を裁判所が要約したものであって、転落死事件が「他殺」であることを認定したものではありません。


ちなみに、創価学会から訴えられた(有)フォーラムおよび乙骨正生も、まさにこのような主張(創価が殺したとまでは言ってない)をしていました。

・・・本件記事には、創価学会の幹部が実行犯に朝木明代市議の殺害を指示したことを端的に意味する文章と読解される文章はない。また、これを婉曲に言及しているといえるためには、創価学会の幹部が同市議につき言論的な方法ではない排除の意向を表明したか、その実行犯が創価学会の何らかの欲求に関連して犯罪を実行したとの表明があることが必要であり、このいずれの場合においても創価学会の同市議の活動に対する利害関係や嫌悪意識への言及が必要であるところ、本件記事においては、これらの事情(画定要素)について言及した文書は何ら見いだすことができない。したがって、本件記事が、創価学会が組織の意思として殺害事件を遂行させたと指摘したとみるべき根拠はないから、そうした印象を読者が持つこともない。(判決書3頁)


矢野・朝木両「市議」や『FORUM21』が、朝木明代市議「殺害」事件への創価学会の関与を臭わせるためにさまざまな印象操作を行なっていることは明らかだと思うのですが、そういう印象を持ったらダメらしいですよ。みなさん注意してくださいね。


さすがに矢野「市議」は、一審ではどうだか知りませんが、少なくとも控訴審ではこのような言い逃れの主張はしていません。鈴木名誉教授の意見書に依拠しながら、朝木明代市議の「上腕の皮下出血は、他人と揉み合って上腕を強くつかまれる際にできたものである」などと主張しています(判決書3頁)。


しかし、この問題は東京高裁判決では何ら判断の対象とされていません。おかしいな、「東村山市民新聞」では、1・29東京高裁判決(「創価問題新聞」事件)について、
08.06.17最高裁確定判決に逆らい、事実まで書換えた「蛮勇な第7民事部1.29判決」!
と書いてあるんですけど(トップページ)。どこがどう逆らっていることになるのでしょうか。そういえば、問題の「司法解剖鑑定書」は4月12日付で「第1章 緒言」が掲載されたきりなんですが、続きはいつになるんでしょうね。


ともあれ、矢野「市議」らが、
各方面にきわめて重大な影響を与える
どういった真相だったのかということを考える大きな手がかり
創価本部に決定的勝訴!
ついに創価本部にも司法が鉄槌を!
などとさんざん吹いてきた判決は、この程度のものに過ぎなかったということです。ご苦労様でした。瀬戸サンたちにも、2月14日のシンポジウムではずいぶん大げさなことを言っていたんですし、「一般読者の普通の注意と読み方」ができない人も多いみたいですから、判決の趣旨をきちんと教えてあげた方がいいんじゃないですか。