軽々しく「死」を口にする人々


「私と読売新聞の戦いは、どちらかが死ぬまで続きます。/私は死を恐れません」
(中村克:友愛社会を目指す「三羽の鳩」〈しばらくこのブログは更新しません〉)


「私はいつ死んでも構いません。・・・創価に決定的打撃を与え死ぬのも人生」
(那田尚史:自分の掲示板への投稿〔2009年11月20日(金)14時16分45秒〕)


「畳の上で死ぬつもりはサラサラねぇよ!」「敵の凶弾、凶刃に斃れればそれで本望!」
瀬戸弘幸:有門大輔ブログ〈話せば…亡国法案通る悪循環に終止符打て!〉/瀬戸弘幸ブログ〈危うい!日本が引き裂かれてしまう。:綺麗事を言ってたら、日本の未来はない。〉)


皆さん、よっぽど追い込まれて思い詰めていらっしゃるんですね。それぞれ自分を見つめ直し、どうしてやることなすことうまくいかないのか、冷静にお考えになった方がよろしいと思いますよ。


ちなみに、最後のセリフは正確には瀬戸サンのものではなく、維新政党・新風にいられなくなってから完全によーめん化した有門大輔が書いていたものですが、瀬戸サンも「現在における私の偽りのない心境」として嬉々として転載していますので、瀬戸サンのセリフとして扱っても問題はないでしょう。


瀬戸サンは、弟子の文章を転載した後で、〈青年に告ぐ〉と題してこんなことも書いています。


「維新や革命とはそれを嫌う為政者や支配層には、集団的な狂気としか映らない。/しかし、その狂気こそが国家を危機から救い、民族を再興させると我々は固く信じます」


いやー、瀬戸サンたちの「集団的な狂気」は維新とか革命とかとは無縁ですし、そんな「狂気」の行き着く先は知れてると思いますよ。瀬戸サンは何ら具体的なビジョンを示すこともなく「青年」達の決起を夢見るだけですし、いちおう明確なビジョンを示しているかのように見えるよーめんの構想はクーデターによる「一党単独極右軍事政権」の確立ですから、どうしようもない。


ところで、「破綻した戦後の議会制民主主義そのものを国民世論によって転覆させる」ための「『前衛的組織』の台頭」を訴え(有門大輔)、「国民大衆の怒りを込めた大衆運動の勃発」とか「至純なる青年の怒りの鉄拳」とかの空虚なスローガンを並べる(瀬戸弘幸)こんな連中と、矢野穂積朝木直子両「市議」は今後も手を結び続けるんでしょうね。左右を問わず、没論理では、一般には浸透しない。議会制民主主義を全否定するところからは、何も生まれないし、政治過程には何の影響も与えないなどと、表向き批判めいたことを口にしてみても、こんな暴力的・無政府主義的自警団体質の連中を東村山に呼び込み、洋品店をはじめとする市民にさんざん迷惑をかけたこと自体をきちんと総括した上ではっきりと決別するのでなければ、無駄ですよ。


そういえば、矢野・朝木両「市議」も「家族や同僚を謀殺された当事者は、命がけであることをお忘れなく」などと書いて(2009年3月1日付更新)、橋本玉泉さんから〈『東村山市民新聞』における「命がけ」の作業とは〉とつっこまれていましたっけ。



その両「市議」が運営している東村山市民新聞」はといえば、宇留嶋さんP2Cさんの疑問・指摘にはダンマリを決め込んだまま、3日連続で「最終更新日」の修正だけという状態が続いています(11月24日付〔2009/11/23 19:25:56〕、25日付〔2009/11/24 20:47:43〕、26日付〔2009/11/25 16:34:00〕)。西村修平・街宣名誉毀損裁判で証人陳述を買って出た形跡もありませんし、その程度の「命がけ」なのでしょう。「真相」解明とやらのために政治生命が危うくなるようなことになっては、矢野・朝木両「市議」にとっては本末転倒なのでしょうから。


佐藤市議が報告しているように、明日26日には市議会12月定例会(12月3日〜21日)が告示されます。矢野・朝木両「市議」も、最低限、質問通告書ぐらいは作成しないといけませんから、東村山市民新聞」でもしばらく実質的更新はないかもしれません。橋本玉泉さんが楽しみにしている「『暗殺依頼密会ビデオ』の根拠報道」ぐらいすぐにでも明らかにできそうなものですが、やっぱりアップアップ詐欺で終わるのかな。ちなみにこの表現、水の落ちた犬(ママ)というニュアンスも滲み出ていて密かに気に入っています。


ああ、このすきにそろそろ四半期ごとのまとめもやっておくかな。