意味不明な主張によって雄弁に物語られる事件の真相と矢野「市議」らの思惑


最高裁から記録到達通知書が届いたからといって上告が受理されたわけではないことに気付いた那田尚史サン、新年早々、「後は最高裁の裁判官に賄賂を一兆円ぐらい出して、上告却下ですか」と予防線を張り始めました。みっともないことです(追記:こんな人に本人訴訟の仕方を無料で教えると言われてもねえ)。



一方、鹿児島県阿久根市竹原信一市長は新年早々、防災行政無線を使って
ブログを発信して1か月後にマスコミが騒いだ。私を陥れるためだ
などと訴えたそうです。中村克サン、矢野・朝木両「市議」とともに阿久根市に移住すれば、市長も夢ではないかもしれませんよ。ところで、オリエンタルランドへの公開書面の送付読売新聞の提訴の報告はまだなんでしょうか。


さて、佐藤市議大塚市議のエントリーにも触れつつ保育園問題について取り上げておきたいところですが、2009年の回顧特集を済ませてさすがに疲れたので、今日は東村山市民新聞」の更新状況を記録するだけにしておきます。1月5日付更新(2010/01/04 19:18:34)は「最終更新日」の修正だけでしたが、1月6日付更新(2010/01/05 15:07:19)で、トップページに次のような囲みが登場しました(〈1 朝木明代議員事件究明関係〉という小見出しの下)。


副署長チバよ、よもや、今に至って否定はしないだろうネ!
「現場ビルのエレベーターは、5階でとまっていた」
事実を、腹心の須田豊美刑事(盗犯二係長)が認めていた!
朝木明代議員の所持していたカギ束が「現場ビル2階焼肉店裏口(階段踊り場)においていたカゴに入った使用済みおしぼりの間に入れられていた」(チバ)事実とあわせ、殺害がどのように実行されたかを雄弁に物語っているのだ。


りゅうさんが考察してくれていますが、矢野「市議」らが何を言いたいのか、私もさっぱりわかりません。「雄弁に物語っている」というのなら、Tomatotic-jellyさんも指摘するように、時系列的に整合性のとれた、少しは腑に落ちるストーリーを提示していただきたいものですが、無理なんでしょうね。松沢呉一さんの以下の指摘も参照。


昨日付の記事でも触れておきましたが、この間の一連の千葉元副署長攻撃について、柳原滋雄さんは次のように指摘しています。私も、こんなところだろうと思います。

 “ペテン師”の市議会議員「矢野穂積」が元東村山署副署長の千葉英司氏を執拗に攻撃するのにはワケがある。95年の転落死事件当時、千葉氏は副署長なので広報担当(マスコミ係)の任にあり、捜査の責任者でもあった。その千葉氏を「偏向捜査」呼ばわりし、情報操作に懸命に努力してきたのが矢野穂積である。矢野に、そうせざるをえない差し迫った事情があったことはいまとなっては明白だ。
 最近も矢野は自分たちのホームページ上で、死亡した朝木明代がはだしで歩いたというのは「つくり話」なるヨタ話を大々的に掲載し、プロパガンダに躍起になっている。根拠も幾つか示されているが、肝心の主張を同人らは書物『東村山の闇』でさえ触れておらず、最初から説得力に欠ける。・・・
 なぜ矢野が千葉氏攻撃に必死になるのか。千葉氏はすでに退職している身ながら、元公職にあった立場であり、自由闊達に過去の捜査情報を公にしにくい実情がある。さらに千葉氏は自分のホームページをもっていない。要するに、矢野にとっては、言えば言っただけ自分の点数になるといった感覚がある。結局はプロパガンダの延長にすぎないのだ。
柳原滋雄コラム日記〈矢野穂積が千葉氏攻撃に“躍起”になる理由〉)


なお柳原さんは、「捜査をかく乱する意図でわざわざかぎを現場周辺においた人間も、明代が事務所に残した靴を後で意図的に隠した人間も、疑われるべき人物はほぼ一人に限られてくる」とも書いています。「柳原滋雄コラム日記裁判(「重要容疑者」裁判)の提訴以降、柳原さんが朝木明代市議転落死事件について取り上げる回数は明らかに増えていますが、矢野「市議」流にいえば「やぶへび」ってところでしょうか。



もっとも、「こんな人間がいまも『公職』の地位にとどまり続けている現実は、東村山市民にとっての最大の悲劇に思える」という柳原さんの指摘については、全面的には同意しかねる部分も残ります。次回市議選(2011年4月)の結果にもよるわけですが、冒頭で触れた阿久根市長の場合と同様、「悲劇」というより、市民の自業自得という側面が強いんじゃないでしょうか。今年は、広く静かな市民の奮起を期待したいものです。


【追記】(1月10日)
意味不明な主張についてあれこれ検討するのも虚しいのですが、柳原さんが書いていることがエレベーター問題に関連しそうなので、メモしておきます。

 95年9月1日夜、朝木明代が転落死したビルで、明代がだれかと争った声を聞いた者は一人もいない。5階の住民も、そんな声は一切耳にしていなかった。もしそのときそのような事実が仮に確認されていたとすれば、当然、東村山署は「自殺の疑いが高い」などと広報することはなかったはずである。現場では何の音もなく、突然「キャー」という悲鳴にも似た声がこだましただけであった。
 このため矢野穂積らは、「他殺説」に固執しなければならない事情があったために、荒唐無稽な推論を作り出す。明代を特殊な睡眠剤のようなもので眠らせ、大きな段ボールか何かに入れて駅前の一等地のビルまで運び、5階から真下に落としたというものだ。この推論は、突然、「キャー」と叫んだ事実と、手すりにぶら下がった痕跡が残されていた事実と真正面からぶつかることになった。「キャー」と叫んだからにはその直前に意識は戻ったはずであり、そう叫ぶより先に「助けてー」などと救助を求めるほうが先のはずだからだ。さらに手すりにぶら下がる時間的余裕があったのなら、なおさら真っ先にそう口にしたはずである。だが、転落後のハンバーガー店員との会話においてさえも、そのような言葉は明代の口からは一切出ないままだった。
 さて、大きな段ボールか何かを荷車などでひいて5階まであがったはずの“間抜けな犯人”は、その後どうしたのだろうか。「キャー」と叫ばれたからには、住民が飛び出してくることも想定しなければならない。その場で「御用」になる可能性も高い。たとえ逃げたとしても、顔や容姿を見られることを当然に覚悟しなければならない。つまり、矢野一派の「他殺説」なるものは、最初から≪破綻した推論≫にすぎなかった。
柳原滋雄コラム日記〈“ペテン師”矢野穂積らの荒唐無稽な「他殺説」〉)