とっくに一蹴されているネタを出典さえ示さずに使い回して“あやしいあやしい”と騒ぎ続ける瀬戸弘幸サンの詐称(僭称)ジャーナリストぶり
「東村山市民新聞」は相変わらず早い時間に「最終更新日」が修正されただけでした(1月26日付、2011/01/25 13:56:16)。昨日(25日)は矢野穂積・朝木直子両「市議」が佐藤市議を訴えた裁判の口頭弁論もあったはずですが、裁判所に行く前に修正したのか、特にネタも拾えなかったので帰ってきてから修正したのかはわかりません。
一方、使い古しのネタを再利用するだけでちっとも「真相」には近づかない(あるいは逆の意味で真相に近づいている)瀬戸弘幸サンの“あやしいあやしい”シリーズは、まだぼちぼちと続けられています。新たにアップされた〈【新連載】 東村山朝木市議殺害事件(4):遺体を検案した医師と搬送先の病院の医師の証言〉についても1月21日付〈都合の悪い事実に目を背け、真実性の立証からも逃亡しながらまだ朝木明代市議転落死事件の「真相究明」を口にする自称ジャーナリスト・瀬戸弘幸サンに失笑の嵐〉に追記しておきましたが、瀬戸サンが紹介している嘉数能雄医師の証言は事件直後の『週刊現代』がネタ元で、1年以上前にりゅうさんがつっこみ済みです*1。
- りゅうオピニオン〈「足の骨折」をなかったことにして、警察医の証言をねじまげた「週刊現代」〉(2009年12月12日付)
- 同〈【朝木明代市議転落死報道を読み返す】異色の報道をした「問題実話」。「週刊現代」検死医コメントの捏造を暴いていた〉(同12月18日付)
しかも、2番目の記事でりゅうさんが紹介しているように、嘉数医師は『問題実話』1995年11月号で次のように語っているのです。
「わたしは『週刊現代』の記者にあのようなコメントはしていません。死因について語っただけで、肋骨がほとんど折れていて、肺に刺さっていましたから『死因は肋骨の多発骨折による肺損しゅで出血性ショック死』と。つまり、『肋骨が折れていたから胸を強く打ったんでしょう』と説明したのを、それなら足から落ちたのではない、したがって自殺では無いと結論づけて『足から落下したと考えられない』と勝手にわたしの証言を作ったのでしょう。
『朝木さんの遺体から自殺と断定できるような材料は見つかりませんでした』と自殺を否定するかのようなコメントをしたことになっていますが、これは状況説明を省いて都合のいいところだけを自殺否定のコメントに使っています。わたしが話したのは『これから捜査するのだから、いまの段階では自殺も他殺も判断できない』ということを話しただけです」
これは一体どういう事なのでしょう?
瀬戸サンは、この問題について騒ぎ始めた当初は、自分が参照している記事の出典を示すことがたまにありました*2。しかし今回の連載では、当時取材した記者の話とやらをやたらと引用しながらも、出典を(いまのところ)一切示していません。
誰かからもらった資料なので出典がわからないという可能性もありますが、たぶん今回のように瞬殺されるのを避けようとしているのでしょう。しかも、瀬戸サンが参照した『週刊現代』1995年9月23日号をめぐってはその後裁判になり、内ゲバの末に講談社と朝木大統・直子親娘が壊滅的敗訴を被った(『週刊現代』事件)ことぐらいは瀬戸サンも薄々承知しているでしょうから、余計に出典を明らかにするわけにはいかなかったのだと思われます。
つまるところ、瀬戸サンは自ら事件後の報道を精査することもせず(そもそもそんなことは瀬戸サンには無理)、誰かからもらった「他殺」説に都合のよさそうな資料*3ばかりをもとに、一連の主張がことごとく粉砕されてきたことは薄々承知しつつ、情報操作・印象操作を繰り返しているわけです。
何と恥知らずなことでしょう。
1月21日付エントリーでもあらためて指摘したように、矢野穂積・朝木直子両「市議」の情報操作に乗っかっちゃったがために完全敗訴した西村修平は、「他殺」説に不利な事実を(朝木直子「市議」から入手できたはずの関連訴訟の判決書等を通じて)「容易に把握することができた」はずであるにも関わらず無責任な発言を繰り返したことをもって、「〔西村が〕報道等に携わる者ではないことを考慮しても、裏付け調査を十分にしたとは到底いえ」ないと断罪されて損害賠償を命じられています(西村修平・街宣名誉毀損裁判東京高裁判決)。これも瀬戸サンは薄々承知しているはずですが、それでもなお同じことを続けるのですから、これはやはり「詐称ジャーナリスト」とか「僭称ジャーナリスト」の呼称がふさわしいというべきでしょう。
もちろん、こんな人間を利用して情報操作を続ける矢野穂積・朝木直子両「市議」が一番悪質なのは言うまでもありませんが、「内部告発」とやらをぶち上げて仲間を裁判地獄に引きずり込んでおきながら、自分はこれ以上訴えられることのないよう“あやしいあやしい”と騒ぐだけで面子を保とうというのですから、瀬戸サンの悪質さも相当のものです。
【追記】
この記事をアップした直後にエアフォース〈「行動する保守」事件 第6回〉がアップされているのに気付きました。瀬戸サンの裁判報告について、
「私はこれほど(敵味方を含めて)人間をナメ、誠実さや責任などすべてに対して投げやりな言葉を知らない。事実を正面から見ようともせず、その態度のどこが悪いと開き直ったようにもみえる。〔中略〕これでは真実性・相当性の立証すなわち『朝木明代謀殺事件』の『真相究明活動』から逃げたと評価されてもやむを得まい。まれにみる卑怯者である」
と書いていますが、私もまったく同感です。
*1:りゅうさんが事件後の報道を振り返った一連の記事については2009年12月8日付〈「東村山市民新聞」が久しぶりの更新で見事な肩すかし! 彼らの行動こそが「真相」を決定的に物語る!〉にまとめてあるので、そちらも参照。
*2:たとえば2008年10月6日付エントリーでは月刊『宝石』1995年9月号を参照している。ちなみに瀬戸サンは同誌の発行日が9月1日付であることをもって「将に殺されたその日に発売されたわけです」と書いているが、もちろんそんなわけはない。
*3:瀬戸サンはかつて、転落後まだ息があった朝木明代市議が救急車を断った一件についても、事件について報じた一般紙6紙のうち救急車に関するやりとりを報じなかった3紙だけを取り上げて「『救急車を呼びますか』と訊いたら『いいえ』などと言ったなどとは何処の社も書いていません」と書いていた。2010年1月8日付〈【救急車問題】誰かさんの情報操作にすっかり乗っかっちゃっていた瀬戸弘幸サン〉参照。