「内部告発者」をさガセ! ※脊髄反射的追記あり


 千葉英司・元東村山警察署副署長が西村修平を提訴したことにともない、再び「内部告発」への関心が高まっています。瀬戸氏のブログのコメント欄にも、次のような投稿がありました。

で、せとさんに伺いたいのですが。


今回の西村氏への提訴に向けて、くだんの内部告発者の方はどのような反応を示してらっしゃるのでしょうか?
今までのニュアンスでいけば、時期と機会があれば前面に立つことも辞さないと言うような事を仰っていたようですが。


さしでがましいようですが、これはある意味良い機会なのではと私は思っているのですが。。。
なにせ公である司法の場で創価の巨悪を暴露するチャンスなのですから。懸念される告発者の身辺保護もとりあえずは確保できそうですし。これを逃す手はないと思います。


いずれ新エントリでお話いただけると仰っていますので、ぜひこのあたりも教えていただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。


Posted by TIN at 2008年10月21日 13:41


というわけで、瀬戸氏がこの「内部告発)」についてブログでどのように述べてきたか、あらためて振り返っておきましょう。コメント欄とか動画の内容まで精査している暇はないので、それは他の人におまかせします。とりあえず最初に要約しておけば、瀬戸氏が明らかにする「内部告発」の内容は次のように変遷してきました。


“自分たちは3名の犯人を特定していた”
  ↓
犯人と思われる人物3名の特定もなされていた”
  ↓
“犯人の特定につながりうる複数の不審者が目撃・特定されていた”
  ↓
“担当検事は創価学会員だった”


まず、7月29日に八王子で行なわれた街宣では、瀬戸氏は次のように述べていたとされます(エアフォースより)。

 私がなぜこの問題を今回取り上げるか。その最大の理由はですね、これは現職の警察官が私に内部告発をしたからであります。これは今日、初めて明らかにします。現職の警察官は、「自分たちは犯人を特定した」と。「3名であった」と。「しかし、検察側からの圧力があって捜査を断念せざるを得なかった」と、そういうふうにはっきりと述べました。
「だから、瀬戸さんたちはこの運動を時効前に国民運動として盛り上げてくれるならば、われわれはその全貌を明らかにする用意がある」と、こういうふうにはっきりと断言したのであります。


3名の「犯人」を特定したという表現は、しかし、7月30日付〈<活動報告>朝木明代元市議・不審死事件を訴える!〉では、「3人の犯人と思われる人物」へと微妙に後退します。

 「私が何故、この事件を取り上げてこのような訴えに立ち上がったのか?」
 「それは内部告発です。現職の警察官から、この事件をこのままにしておくことは出来ない。これは自殺などではなく殺人事件であり、3人の犯人と思われる人物の特定もなされていました」


ちなみに、この7月30日付の記事と、その次に書かれた〈東村山市議故朝木明代さん不審死事件(2):創価学会も焦っているかもね〜*1(8月6日付)では、まだ「不審死事件」という表現が用いられています。しかし8月16日付の記事で〈【連載】朝木明代元東村山市議殺害事件〉が開始されて以降、完全に「殺害(殺人)事件」ということになりました。


その一方で、「内部告発」の証言はさらに後退し、「犯人と思われる人物」ではなく、犯人の特定につながりうる「複数の不審者」が目撃されていたに過ぎないという話になってしまいました(8月16日付〈【連載】朝木明代元東村山市議殺害事件(1):新メディアが挑む戦後最大のタブー〉)。

 ・・・今回の内部告発は新たな事実を明らかにした。それはこの現場付近で目撃された複数の不審者の姿である。
 この不審者の存在は完全に無視された。しかし、過去の捜査資料を丹念にもう一度再検証すれば、それは犯人を割り出す有力な証言となり証拠になると内部告発者は明らかにした。
〔中略〕
 徹底した捜査のやり直しを検察庁が命じれば、犯人に辿り着く可能性が高い。それどころか、日本の優秀な警察は既にその不審者を特定している―そこまで内部告発者は言っていた。


さらに、その翌日の〈【連載】朝木明代元東村山市議殺害事件(2):内部告発者が指摘・社会正義こそ本質的問題〉(8月17日付)では、早くも「内部告発」の存在をごまかし始めています。

 誰もが予想もしなかったであろう「現職警察官による内部告発」という私の演説に大きな関心が寄せられました。
 この件に関して「それは本当のことですか?」という問い合わせが今も続いています。複数のジャーナリストや某宗教組織関係者からも問い合わせがありました。
 ここでこの事件で先ず考えなければならない、その本質的な問題とは何なのか?
 あなたはどう思いますか―と。
 私はそのことを逆にお尋ねをしています。


逆にお尋ね」するまでもなく、「本当のことです」ぐらいは言えるはずなんですが。


同じ記事では、「告発者」とのやりとりが、やや具体的に明らかにされています。ただし、実際にこのようなやりとりが交わされたとは限らず、瀬戸氏が「告発」内容をもとに勝手に再構成した可能性も否定できません。

 私が初めて告発者から聞いた言葉をここで再現してみましょう。
A「この事件には正義が初めからなかった」
私「それはどのような意味でしょうか?」
A「仮に瀬戸さん、あなたが今不審な死を遂げたとします。あなたが創価学会を徹底的に追及していたとして、先ず真っ先に疑うべきは創価学会です」
私「その通りだと思います」
A「しかし、この事件はその捜査指揮を創価学会の検事が担当したのです。考えられますか?」
私「それはおかしいですね。それでは公正な捜査など期待できませんね」
A「その通りです。だから、捜査のやり直しを堂々と検察庁に求めて欲しいのです」


そして瀬戸氏は、「あなた方は、この事件を創価学会の検事が担当したことに、何の疑問を抱かないのですか?/告発はその事実を広めて下さいとの趣旨でなされたのです」と問いかけています。


複数の不審者が特定されている”という話が、“検事は創価学会員だった”という話になってしまいました。私が8月18日付〈衝撃的すぎて脱力する「内部告発」の内容〉で指摘したように、そんな話なら、「内部告発」を待つまでもなく公知の事実であり、裁判でも、「このことから同事件の捜査が公正を欠くものであったとは証拠上認められない」と認定されています。この時点で、すでに終了フラグは立ったと言えるでしょう。


その後、瀬戸氏のブログでは「内部告発」の影はすっかり薄くなり、何度かその存在がほのめかされるだけになってしまいます。


この問題を追及するに当たって、内部告発者と約束したことがあります。それは大きな国民運動を提起するに当たり、特定の宗教団体の力を借りない―ということです」(8月21日付〈ネット工作員の正体は電通?:創価学会もクライアントの一人でしょうね〉)


現場の警察官が今、内部告発へと動き始めたのです。検察庁にも真実を知る人は多いと思います」(8月23日付〈【連載】朝木明代元東村山市議殺害事件(7):八王子検察庁は支部長も担当検事も創価学会員〉)


この8月23日付の記事を最後に、瀬戸氏はブログで「内部告発)」にいっさい言及しなくなりました。そして、9月3日付〈【連載】朝木明代元東村山市議殺害事件(13):決定的な証拠などと書いている方に〉では、有名な“決定的証拠なんかオレが持ってるわけねえじゃねえか”宣言が行なわれます(「証拠を見つけ出し、犯人を逮捕・起訴するのは司法に課せられた義務であり、それを怠っているが故に、検察庁に捜査のやり直しを求めてきたのです」)。


【追記】(10月24日)ただし、9月1日の東村山街宣時に宇留嶋さんが「あなたは『内部告発者』に直接会ったのか」と尋ねたところ、瀬戸氏は自信たっぷりに「もちろん会ってますよ!!」と答えたそうです。
【追記2】(11月16日)「政治と宗教を考えるシンポジウム」第3弾開催当日の記事のコメント欄では、「内部告発についての詳細は本日のシンポジウムで明らかにされますか?」という質問に対し、「そのことに関して演説・ブログ記事に書いたこと以外のことを現時点で申し上げることはありません」と回答しています(Posted by せと弘幸 at 2008年11月16日 14:44)。


う〜ん。本当に、「内部告発」はどこに行ってしまったのでしょうね。瀬戸氏がどうして「内部告発)」に触れることができなくなったかについては、松沢呉一さんが〈お部屋1681/「ガセ」の中身〉でいろいろな可能性を検討していますが、今回の裁判ではそのあたりについても証言していただきたいものです。


ちなみに瀬戸氏は、かつて永田メール事件を取り上げたときに、内部告発について次のように述べていました。出典は、〈民主党よ、「刑事告発」こそ真相解明の道だ! それをしなければ国民は信用しないぞ! 政治への不信感を募らすだけだ〉(2006年2月20日付)という、ブーメラン的なタイトルがついたエントリーです。

 私は同じような疑惑追及の時は、キャンペーン方式を取った。第一弾、第二弾と攻めて行く手法である。相手を追い詰め、更なる内部告発提供者が出る事を待つものだ。
 全てが明らかでなくとも、少しづつ衝撃的記事で暴露的に問題を喚起することで得られる利益と、何もしないで傍観して失われてしまう不利益を考えた時、告発ジャーナリズムは前者を選択する。
 それは大マスコミの新聞記者には絶対出来ないことだが、フリーの記者には可能なのである。それは最終的に己が責任を取るという固い決意があるからだ。今回の問題をウヤムヤにだけはして欲しくない。
〔中略〕
 内部告発を取り扱う時の鉄則とは、仮に提供者の素性がバレても、協力してもらえるという確約である。告発者は正義感で立ち上がっており、その訴えに共に戦う姿勢を見せれば裏切られることはない。


さて、瀬戸氏は今回の「内部告発」からも「協力してもらえるという確約」をいただいているのでしょうか。いずれにせよ、今回の裁判を通じ、「最終的に己が責任を取るという固い決意」を示してもらいたいものです。


【追記】
瀬戸弘幸氏が、10月22日付〈池田大作・長男へ世襲で「最後通告」〉で、今回の裁判について口を開きました。

お知らせ。
 「主権回復を目指す会」の西村修平代表を、東村山元警察副署長の千葉英司は名誉を毀損されたということで損害賠償の民事裁判を提起しました。
 その件でコメントする人がいますが、裁判はこれからであり、私のこのブログでその仔細を説明することはまだありません。よって何をコメントされても私からの返答は今の段階ではありません。
 執拗に同じことを繰り返すコメントがあれば、妨害行為とみなし削除させて頂きます。しかし、どうしてこうも「こらえ性」がない人が多いのでしょう。
 こちら側が無視していたので、相手方の創価学会御用ライターが一昨日自分のブログで書いたようです。この事実で千葉元副署長が創価学会の御用ライターと深い関係にあることが一つの事実として明確に示されました。
 今回の訴訟でハッキリしたことがあります。あれほど襲撃だとか、このブログで書いている人がいましたが、千葉元副署長にはそのような認識はないようです。あくまでも、ご自分の名誉を守るために起された裁判です。
 いずれにしても、民事の名誉毀損の裁判が提起されたということだけです。裁判が始まれば詳しく書いて行きますし、また、八王子では街宣も行います。
 これを祭りにしたいと思います。裁判を傍聴したい地方の人のためにツァーを始めるかーなどと言った冗談も飛び出しました。何回行なわれるか、わかりませんが、八王子の町を「創価学会糾弾」のお祭り日としますのでご期待下さい。


細かいつっこみは省きますが、“現段階では詳しくコメントしない”で済ませておけば少しは静かになったでしょうに、よけいなことをだらだらと書き連ねて、本当に「こらえ性」のない人ですね。


ちなみに、八王子で「創価学会糾弾のお祭り」をいくら繰り広げても、“裁判に勝てそうもないから八つ当たりをしているお騒ガセ集団”と思われるだけですよ。自分たちの発言内容について、何ものにも揺るガセにされない自信があるなら、裁判の場やブログで淡々と事実および証拠を提示していけばいいだけの話です。


それにしても、真相解明のための絶好の機会を与えてもらったというのに、あまりお喜びの様子ではありませんね。「ツァーを始めるか」などと、ちいとも面白くない冗談を交わされているようですが、「民事の名誉毀損の裁判が提起されたということだけ」で済まなくならないよう、くれぐれもご注意いただきたいものです。とっくにそれだけでは済まなくなっている可能性もあると思いますけれども。


ところで、これからは「総統」(フューラー)ではなく「皇帝」(ツァー)とお呼びした方がよろしいでしょうか?


【追記の追記】(10月23日午前9時過ぎ)
ツァー」は「ツアー」に修正されていましたので、これまで通り「総統」でいいようです。なお、私の方も「ヒューラー」を「フューラー」に修正しました。日本ではどちらも使われているようですが、後者の方が原語に近く、使用頻度も多いようなので。

*1:原文では丸付数字が用いられているが、カッコ付数字に修正した。