時を駆ける(そしてコケる)瀬戸弘幸
瀬戸弘幸ブログで〈自衛隊員に対する思想調査の開始か:内容よりも規約違反で締め付けの動き〉という見出しを見て、吹き出しました。内容ではなく、「内規違反」と言う形式に基づいて処分するなら、それは「思想調査」ではありません。主見出しと副見出しが壮絶に矛盾していることにも気づかないのが、さすがの瀬戸クオリティです。
そういう人物ですから、「この名誉毀損の裁判は弁護士先生が依頼を受けて進めるので、どのような主張を展開されるのか。正直申し上げて私の知るところではありません」(11月6日)と言いつつ、その翌日には、
「これを千葉英司一人に対する名誉毀損事件で終わらせるつもりなど毛頭ありません」
「朝木明代さんは本当に『万引き』を苦にして自殺したのか? そのような筋書きを演出したのは他でもない創価学会であることを信じるに足る証拠を山ほど提出することになります」
などと、勝手に訴訟戦略を発表するのも平気の平左。おまけに、「創価学会がいかに反社会的な危険な組織であるかを裁判では主張します」などと、どんどんあさっての方向に話を進めています(文末追記も参照)。ついには、
「創価学会は批判者を第三者を使って暗殺を企む組織ですよ」
とまで断言する始末(11月6日付エントリーのコメント欄、Posted by せと弘幸 at 2008年11月07日 20:04)。矢野絢也・元公明党委員長が『文藝春秋』8月号に寄せた手記(なぜか「東村山市民新聞」が〈元公明委員長の告発手記〉として転載している)が根拠のようですが、当の本人は「暗殺依頼の真偽はともかくとして」と、いちおう逃げを打っているんですけどね。
それはそれとして、瀬戸弘幸〈【番外編】朝木事件ウオッチャー・ブログの正体(7):急に沈黙した創価御用ライターとジャーナリスト〉(11月7日付)。宇留嶋さんと柳原さんがまともに相手にしていないのをいいことに適当なことを書いていますが、今日問題にしたいのは、次の記述です。瀬戸・西村側は、千葉英司・元東村山警察署副署長が創価学会員であることの立証を、裁判が始まる前からあきらめてしまったようです。
千葉英司は提訴の中で、自分は創価学会の信者ではないとしている。しかし、まったく無関係なのか? 前から指摘してきたことですが、宇留嶋氏(以降敬称略)は創価学会と深い関係にあります。
〔中略〕
その宇留嶋瑞郎のブログで今回の千葉英司の提訴は一番最初に世間に公表されたのです。
西村修平氏や私は一切明かしてこなかったことでしびれを切らしてしまったようです。
これで千葉英司は創価学会と関係ないとは言えなくなりました。問題は創価学会の信者であるのか、ないのか―ではありません。その辺りは彼等もよく理解出来ていることでしょう。
西村修平が街宣のときに用いたプラカードには、「創価学会の四悪人」のひとりとして千葉さんの名前が挙げられていました(写真は「主権回復を目指す会」のホームページより。〈謀殺を「自殺」にすり替えた四悪人〉という説明がついている)。
「英司」を「英二」と間違えていても、ハテナマークをつけていても、これを見た人は「千葉英司副署長は創価学会の信者だったのか」と思うことでしょう。そうではないのですから立証をあきらめるのは当然ですが、早くも争点のひとつに決着がついてしまいました。そこで、次のような論法を繰り出そうとしているわけです。
(1)宇留嶋は創価学会と深い関係にある
↓
(2)その宇留嶋が今回の提訴を真っ先に公表したのだから、千葉は宇留嶋と密に連絡をとりあっていることが明らか
↓
(3)千葉は創価学会と関係がある
↓
(4)千葉は創価学会の利益のために「謀殺」を「自殺」にすり替えた
まったくハチャメチャな話です。
そもそも(1)の前提が立証されていないわけですが、この点については橋本玉泉さんが〈ジャーナリスト宇留嶋瑞郎氏を「創価学会御用ライター」等と呼ぶことの検証〉でつっこんでいますので、そちらを参照してください。
次に(2)→(3)についてですが、千葉さんと矢野・朝木両「市議」との間で争われている裁判を宇留嶋さんが逐一フォローしていることぐらい、エアフォースを見れば誰にでもわかります。取材しない「詐称ジャーナリスト」とは違って、おそらく欠かさず傍聴もしているのでしょう。そんな宇留嶋さんが裁判の情報をいち早く入手・公表しても、何ら不思議ではありません。
そして(3)→(4)ですが、この(そもそも成立し得ない)論理にいちおう形をつけるためには、千葉さんが朝木明代市議万引き事件・転落死事件の当時から創価学会と「関係」があったことを示さなければなりません。
それでは、“千葉と創価学会をつなぐ人物”とされている宇留嶋さんが千葉さんと初めて会ったのは、いつだったのでしょうか。『民主主義汚染』を読んでいない瀬戸弘幸でも、柳原滋雄さんのホームページに丁寧に目を通していれば(無理でしょうけど)、「筆者の宇留嶋は、明代の転落死から2、3カ月すぎたころ取材を開始」したという記述に目を留めることができたはずです。
『民主主義汚染』に目を通せば、さらに具体的な日付がわかります。1995年12月21日です。万引き事件からはほぼ半年、転落死からも4か月が経とうとしている時期のことでした。しかもいったんは取材を断られており、直接出向いても、この日は具体的な話はしてもらえなかったと言います(210〜211ページ)。
ゼリーワールドではいくら時空を歪めても信じてもらえるのでしょうが、現実世界の裁判で、こんな話が通用するはずはありません。その辺りはまったく理解出来ないのでしょうけど、とりあえず、西村修平の弁護を引き受けてくれた弁護士さんとちゃんと打合せした方がいいと思いますよ。
【追記】11月7日付エントリーのコメント欄では、次のような訴訟戦略も発表されていました。やはり本件名誉毀損裁判とは関係のない話ですが、創価学会に訴えられたときのための対策なんですかね(丸付数字はカッコ付数字に修正)。
せと弘幸blog「日本よ何処へ」読書会さんへ
いつもありがとうございます。
これまで投稿いただいたものを、いくつかにまとめてメールか何かで頂くことは可能でしょうか?今回の裁判では朝木さんの問題だけでなく、以下のものもまとめて提出する予定です。
(1)創価学会がこれまで行なってきた反社会的行為、犯罪などの事例
(2)創価学会を脱退した人達に対する迫害、或いは対立者に対する攻撃
(3)公明党が如何に創価学会によって支配されているかを示す事例
まだまだ、ありますが、貴殿の投稿は非常に参考になるものばかりでしたので、是非とも協力下さい。
Posted by せと弘幸 at 2008年11月07日 21:29