ホームレスを襲撃する若者らと発想が同根のゼリー一派と、そんな連中とつるむ矢野・朝木両「市議」


突然ですがTwitterを始めましたりゅうさんのところ「食指が動かない」と書いた直後のことです。人間、何がどう変わるかわかりませんな。あえて/急いでブログで取り上げるまでもないけど、とりあえず触れておきたい/知らせておきたいことを中心につぶやいていくつもりなので、いちおうお知らせしておきます。Twitterを利用していなくてもつぶやきを見ることはできますので、まあ適当にご覧ください。


(つぶやきの例)

「東村山市民新聞」は今日も「最終更新日」の修正だけだったようです(2月13日付、2010/02/12 19:15:05)。


最新のつぶやきをサイドバー等に表示させるブログパーツも試してみたのですが、どうもデザイン的にはまらないので、先送りにします。サイドバーのリンク集には「3羽の雀のつぶやき(Twitter)」として入れておきました。


さて、毎月18日は、創価学会の解散を求める日となりましたと言いながら適当な「市民団体」を4つばかりでっち上げていた日護会関係者ですが、新たに「日本のごみをお片付けする市民の会(日ご会)」とかいう団体が発足したそうです。「総裁」は日護会の事務局長にしてお掃除おばさんの高山あずさ氏。ちなみにURLの neige poudreuse というのはパウダースノーのことです。


けっきょくこの連中の発想というのはホームレスを襲撃する若者たちと同根で、これまで数々の襲撃事件を引き起こしてきたのも不思議ではありません。たとえば、横浜・ホームレス襲撃事件に関与した少年のひとりは次のように供述していたと言います。


「横浜の地下街が汚いのは浮浪者がいるせいだ。俺たちは始末し、町の美化運動に協力してやったんだ。清掃してやったんだ」


池袋の中国人商店を襲撃した際、西村修平がこれを清掃活動と呼んでいたのを想起させる言葉です。


覚えている人も少なくないと思いますが、東村山でもかつて中学生によるホームレス襲撃・傷害致死事件が起きたことがあります。横浜・ホームレス襲撃事件についてのページから、概要を紹介しておきましょう。

2002年1月25日 東村山・中2の四人によるホームレス逆恨み傷害致死事件
 夜、東京都東村山市のゲートボール場で暮らす無職・鈴木邦彦さん(55歳)が複数の少年に角材で殴られたり、蹴られるなどして外傷性ショックで死亡した。
 まもなく逮捕されたのは同市内の私立中学2年生の4人で、ゲートボール場の小屋で眠っていた鈴木さんを小屋裏の空地に連れ出して1時間半にわたり暴行を加えていた。4人は同じクラスメイトの友人で、前日に図書館で騒いでいたところ、職員に出ていくように言われ、たまたま傍にいた鈴木さんが少年らに「おまえら、何を座っているんだ」などと咎められ、根に持ったという。


この事件の後、東村山では亡くなった鈴木邦彦さんを追悼する集いが行なわれました。



この集いを呼びかけた「追悼する会」代表の佐藤貞子さんは、昨日付の記事で取り上げた、かつて「草の根」から「経歴詐称」などと攻撃された元東村山市議です。集いの呼びかけには次のように書かれています。

鈴木邦彦さんを追悼するつどいへのご出席のお願い
鈴木邦彦さんを追悼する会
代表:佐藤貞子〔連絡先省略〕
 これまで、未成年者による野宿をよぎなくされた人々への襲撃がくり返し起きてきたことは誰もが知るところです。しかしそれを食い止めることはかなわず、遂に私たち東村山の地で現実のものとなってしまいました。
 鈴木邦彦さんは、4〜5年前から東村山に住んでいたといいます。それは鈴木さんが、この地を居心地よく思い、又愛していたからでありましょう。まさかその自分の命が、東村山の中高生に奪われるなど予想もしていなかったはずであり、無念極まる思いであったことでありましょう。中学生に注意を与え、命を失うまでひるむことのなかった鈴木さんこそ、本当に勇気ある人と言えるのではないでしょうか。
 にもかかわらず、なぜこのような事態に至ってしまったのか、深く思いを馳せることこそ、私たちの責務と心得ます。大人たちが、野宿の人を蔑み、ごみ同様に見てきた倫理観こそが、子供たちに反映し、その結果として死を招いたといえないでしょうか。人命尊重を説きながら、片方で人の命に高低をつけていることこそ、問われるべきなのではないでしょうか。
 鈴木邦彦さんが、住み続けて無残にも命を奪われたその現場に立ち、思いと魂を慰霊し、追悼することから、自らと今の社会、そして青少年に問いを発していきたいと思っております。
2002年2月4日


また、この集いについて報じた朝日新聞の記事で、佐藤さんは「事件は、子どもの差別意識が表れたものだと思うが、それは大人にも心のどこかにあったのでは」とコメントしています。


一方、気に食わない集団を「ごみ」呼ばわりして「清掃活動」に勤しむような連中を東村山に呼び込んだ矢野「市議」らも、市議会や紙版「東村山市民新聞」でこの事件について取り上げ、加害者の少年らに厳しい対応をとるよう主張しました。どのような取り上げ方をしたかは近日中にまとめたいと思いますが(とりあえず、この事件について審議が行われた平成14年2月25日・本会議会議録参照)、思い出されるのは、矢野「市議」が、佐藤まさたか市議を攻撃する中で、次のようにホームレスに関わる裁判例を持ち出していたことです。


・・・ホームーレス〔ママ〕の人物が公園を住所として登録できると争った訴訟は、最高裁で、昨秋、敗訴が確定しているから、どうあがいても、この違法に選挙人名簿に登録した事実が判明した時点で、登録は取り消しなのである。


これはいわゆる住民票転居届不受理処分取消請求事件の話です。昨年(2009年)4月に矢野「市議」らが東村山市選挙管理委員長を訴え、東京地裁と最高裁に一蹴されたという裁判では、おそらくこの判例を持ち出したのでしょう。


このページ(「東村山市民新聞」の迷宮〈お騒がせ「市議」の09.3月市議会〉も参照)についてつっこんだ2009年3月17日付〈あれっこれ叫ぶなら、議席譲渡事件の責任をとって辞職&報酬返還してからね〉で、私は次のように書きました。

なお、矢野「市議」はこの記事で、「ホームーレス〔ママ〕の人物が公園を住所として登録できると争った訴訟は、最高裁で、昨秋、敗訴が確定している」として、いわゆる住民票転居届不受理処分取消請求事件の判例を持ち出してきました。これも明らかに佐藤市議の事案とは性質が異なる事件なのですが、その点についてはあらためて検討します。この判例についての評価も分かれると思いますが、いずれにせよ、このような判例を嬉々として持ち出してくること自体、矢野「市議」が社会的弱者の擁護などにはまったく関心を持っていないことの表れと言えましょう。


紙版「東村山市民新聞」等における事件の取り上げ方を見ていると、ますますこの感を強くします。続きはあらためて。