朝木明代市議転落死事件の「最大の謎」 ※重要判決の所在を追記


日付が変わりましたが、「東村山市民新聞」には現時点で更新がないようです。瀬戸先生もあいかわらずレッテル貼りと予告編で終わっていました。


普通は「最終更新日」が修正されたあとに記事を更新するのですが、昨日はちょっと小ネタをかましすぎてしまいましたし、本日開かれる「政治と宗教問題を語るシンポジウム」の内容を充実させるべく協力させていただくために、早めに記事をアップしておきましょう。C.I.Lの荒井さんも書いているように、矢野・朝木両「市議」は「朝木さん/母は創価学会に殺された!」とは言えない立場ですので、このままでは期待外れの内容に終わってしまうおそれがあります。私は最初から期待していませんが。


朝木明代市議転落死事件の最大の謎は、真相究明を切望しているはずの矢野・朝木両「市議」が、なぜ警察の捜査に非協力的態度を貫き、事務所内の捜索調査さえさせなかったのか、ということです(文末追記2参照)。このことは「柳原滋雄コラム日記」でも繰り返し指摘されており、レッテル貼りや選り好みをせずに虚心に真相を追究しようとするなら、とっくにたどりついているはずの事実です。


最新エントリー「再び、東村山デマ事件の『真相』――」(8月23日付)でも、次のように書かれています。

 もし矢野〔穂積〕の人格に、「良心の呵責」というものが多少とも宿っていたら、彼はどのように行動したであろうか。仮に他殺を疑うような状況があったとしても、だれが怪しいとか、事件直後からマスコミ相手にけっして口にすることなどなかったはずである。さらに死亡した女性市議の靴が見つからないとなれば、「草の根」の事務所に自ら捜査官を招き入れ、進んで検証させたりしただろう。女性市議の自宅にも、警察捜査を拒否させるようなこともなかっただろう。自ら、警察の事情聴取にも速やかに応じ、事細かに、それまでの経緯などを説明し、捜査の進展を望んだに違いない。だが、結果は≪逆≫だった。
 事務所には一切警察官を立ち入らせず、女性市議の自宅でも同様の行動をとった。警察に出頭したのは、ほとぼりが一段落した10月7日、事件からゆうに1カ月以上すぎた段階だった。そればかりか、矢野と同様に他殺説をわめいた娘の朝木直子は、ついぞ警察署に出頭することはなかった。


これは事実なのでしょうか、それとも事実に反するのでしょうか。事実に反するとすれば、具体的にいつ事務所や自宅の捜索は行なわれたのでしょうか。シンポジウムではぜひその点を質してほしいものです。


瀬戸先生は、「自殺」説を否定する根拠のひとつに「遺書がなかった」ことを挙げています(連載(1))。荒井さんが一蹴したように、遺書がない自殺もありますし、むしろ自殺者のおよそ7割は遺書を遺していません。したがって「遺書がなかった」ことは他殺の傍証にさえならないわけですが、仮に〈草の根〉の事務所や朝木明代市議の自宅に遺書があったとしても、捜索させてもらえないんだったら見つかるわけがありませんよね。


もっとも、遺書があったらあったで矢野「市議」らは「これは創価の偽装工作だ!」と騒ぎ立てたことでしょう。筆跡鑑定等の手段により間違いなく自筆の遺書であることが確認されても、「創価に脅迫されて書かされたのだ!」と言い出したでしょう。展開が予想できすぎて、ミステリーにも何にもなりませんな。


確かにCIAなどは、「自殺したことにして新しい名前や住所を用意してやるから」と言って遺書を書かせ、そのあと殺してしまうというやり口を用いることがあります。これはかなり確度の高い情報です。ゴルゴ13に書いてありましたから。


さて、柳原滋雄氏の前掲記事では、矢野「市議」は次のような点について説明責任を果たすべきだとも指摘されています(丸付数字はカッコ付数字に変更)。

(1)朝木明代が転落死するまでの間、どのような精神状態にあったか。
(2)転落事件の起きた当日、朝木明代の犯した「万引き事件」の善後策を弁護士に相談に行った過程で、朝木を厳しく叱責するなどの暴言や威迫行為をしなかったか。
(3)朝木明代と口論になるなどして、その腕を強く握ることはなかったか。
(4)朝木明代の靴は、事務所内に残されていたのではないか。
(5)上記(2)から(4)の疑問に対し、そうでないと主張するならば、その「証拠」は存在するか。


いわゆる“悪魔の証明”を求められる項目が多いので「証拠」まで要求するのは無理だろうと思いますが、説明はできるはずですよね。シンポジウム第一部では「気鋭のライター」さんが「衝撃の事実」を「訊き出す」ことになっているようですから、事務所や自宅の捜索をさせなかった理由を含め、矢野「市議」に質問していただければと思います。


ちなみに、朝木明代転落死事件後、真っ先に「創価謀殺説」を報道した一般誌は『週刊現代』だったようです。事件からわずか10日後の9月11日に発売されたという9月23日号で、早くも〈東村山女性市議「変死」の謎に迫る 夫と娘が激白!「明代は創価学会に殺された」〉と題する記事を掲載しています。


けっきょくこの記事は創価学会から名誉毀損で告訴され、週刊現代編集部および朝木大統・直子親子はともに損害賠償各200万円の支払いと謝罪広告の掲載を命じられました(2002年10月29日、最高裁)。ネットでは東京高裁判決(2002年5月11日)の抜粋しか見当たりませんが、ご参考までに(文末に追記あり)。週刊現代編集部は速やかに謝罪広告を掲載したようですが、朝木大統・直子親子が謝罪広告の掲載命令を履行したのかどうか確認できてませんので、それもシンポジウムで訊き出しておいてください。


この裁判の過程で、朝木直子「市議」は、「週刊現代の取材はいっさい受けていない」などと主張して逃亡を図ったとも言われています。もちろん、地裁判決で一蹴されたんですけれども。そういう人みたいですから、瀬戸先生も『週刊現代』の二の轍をお踏みになることがないようにご注意を。


【追記】(8月26日)
すいません、前に荒井さんがポリスジャパン「現職東村山市議 矢野穂積 の華麗なる裁判歴 その3」で週刊現代」裁判の第一審および控訴審の判決を紹介されていたのを忘れていました。その下の聖教新聞」事件判決や、「現職東村山市議 矢野穂積 の華麗なる裁判歴 その2」で紹介されている救急隊国賠事件判決などもあわせてご覧ください。これらの裁判については、鸞鳳(らんほう)にも判決文の全文ないし抜粋や背景説明等が掲載されています。


【追記2】(2009年10月15日)
関連の判決については〈朝木明代市議万引き被疑事件・転落死事件 まとめWiki〉を参照してください。また、矢野・朝木両「市議」側が警察の調査を拒否したという件については、エアフォース〈西村修平事件第5回口頭弁論(その1)〉も参照。この記事を見て、本文の「捜索」を「調査」に修正しました。