最高裁判決を無視する瀬戸サンが「日本を無法国家にしたいのか?」と憤るブーメラン


東村山市民新聞」は、「最終更新日」が11日付から13日付に修正されていました。私もなんだかんだと忙しいので、今日はとりあえず瀬戸サンのブーメランを拾うだけで済ませておきます。


出来の悪い大学生のレポートのような作文が毎日のように掲載され、ますます読むに堪えなくなっている瀬戸弘幸ブログ『日本よ何処へ』ですが、〈フィリピン人一家だけの問題ではない。〉というエントリーにはこんなことが書いてありました。

 日本を無法国家としたいのか?
 法に携わる者が、自ら最高裁の判決を無視し、そして法を無視しろと言っているのに、そのことに対して批判の声が挙がらない。これが法治国家と言えるのでしょうか。
 一般の国民が最高裁の判決に対して異議を唱えているのではなく、れっきとした弁護士資格を持つ人間のこの言動に我々は強い憤りを覚える。


このあたりの認識そのものにやや問題がありますが(後述)、一般論として、確かに最高裁判決を無視してはいけません。最高裁判決を批判する自由は誰にでもありますが、確定判決には従うべきです。それは、「法に携わる者」であろうが「一般の国民」であろうが、変わりません。これが「法治国家」というものです。


さて、読者の皆さんにはすでに先が読めてしまってちっとも面白くないでしょうし、コメント欄でもハンドル名に「ブーメラン」という単語を入れた投稿者が瀬戸サンをからかって遊んでいますが、お約束として、やはり反問しておかなければなりません。


じゃあ、何で朝木明代市議万引き事件に関する最高裁判決を無視するの?
日本を無法国家としたいんですか?


2008年10月31日付〈まずは洋品店店主に公的に謝罪せよ〉ほかの一連の記事で繰り返し指摘してきたように、洋品店店主が朝木明代市議の万引きをねつ造した(またはそこに関与した)などという主張は、複数の裁判で否定されてきました(まとめWiki朝木明代市議万引き被疑事件〉など参照)。そのうち、ブティック店主名誉毀損事件、『聖教新聞』事件、『月刊タイムス』事件などは最高裁で確定しています。


それなのに、瀬戸サンはいまだに洋品店襲撃参加者の言動11月27日付の記事も参照)を否定・批判せず、それどころか「万引き(未遂)冤罪事件」などと言い張っている。もっとも、瀬戸サンが朝木明代市議万引き・転落死事件の実質的内容について触れた記事は、昨年11月7日付のエントリーが最後ですが。さらに、そのころ得意げに持ち出していた「店主と真っ向から反する証言者の存在」云々についても、宇留嶋さんの連載〈右翼を煽動した矢野穂積の虚偽説明〉によって粉砕されつつありますが(とくに第6回以降を参照)。


もはや「御用ライター」裁判や西村・クロダイ裁判に時々触れることで体裁を整えることしかできなくなりつつあるのでしょうが、それならそれで、少なくとも洋品店店主に対する言いがかりについては公式に謝罪し、東村山が“無法地帯”とならないように責任を果たすべきでありましょう。


法律家と一般国民を区別することで逃げ道を作っているつもりなのかもしれませんが、もちろんそんなことは言い訳になりません。まして、ネタ元である矢野・朝木両「市議」は、市議会議員という立場上まさに「法に携わる者」であり、瀬戸サンは「強い憤りを覚え」て批判しなければならないはずです。


『万引きされた』とデッチあげた洋品店は、夫婦そろって創価学会員だというから恐れ入る」などと書いていたクロダイについても同様です(2008年12月23日付の記事も参照)。確かに「行政書士は法律家ではありません」という意見にも説得力があり、クロダイの言動を見ているとますますそう思えてくるのですが、日本行政書士会連合会行政書士を「法律専門国家資格者」と位置づけており、「法に携わる者」であることは間違いないでしょう。瀬戸サンは、“れっきとした行政書士資格を持つ”クロダイの言動についても「強い憤りを覚え」、批判することが求められます。「ニューリーダー」などと持ち上げている場合ではありません。


「田母神人民裁判を許さないぞ!」の件もそうでしたが、自分の言ってることの整合性を保とうとする努力を、少しはしてほしいものです。それができないなら、というよりおそらくできないのでしょうから、東村山問題のような、一般市民を脅かすことにつながる問題には手を出さず、毒にも薬にもならないような作文を延々と書いていてください。そうすれば、私もいちいち瀬戸サンの言動を監視しなくて済みます。松沢さんはすっかりゼリーグループへの興味を失ってしまったようですが、私だって好きでやっているわけではないのです。


なお、フィリピン人少女が在留特別許可を求めているという今回の件ですが、在留特別許可とは、法務省のサイトでも説明されているように、「入管法第50条に規定する・・・法務大臣の裁量的な処分」です。裁判所は、強制退去処分の合法性は認めたということですが、法務大臣裁量権を行使して在留特別許可を与えることまで禁じたわけではありません(そもそもそんな権限は裁判所にはありません)。


したがって、今回の問題をどう考えるかに関わらず、フィリピン人少女を支援している弁護士が「最高裁の判決を無視し、そして法を無視しろと言っている」とまで非難するのは、言い過ぎでしょう。フィリピン人少女側は、入管法に基づいて法務大臣に与えられている裁量権を行使するよう求めているに過ぎません。それについての賛否を表明することは、もちろん自由です。


国家運営にはある程度の裁量というのが必要で、それを認めた上で、その裁量権の範囲や行使方法について議論するなら結構でしょう。しかし、行政裁量や司法裁量をいっさい認めないかのような粗雑な議論を展開していれば、検察官の起訴裁量(不起訴・起訴猶予)や裁判官裁量(執行猶予など)も許されないということになり、いろいろ困る人も出てくるんじゃないですかね。


〔この記事は1月13日のお昼過ぎにアップしたものです。〕