「長方形」問題でとたんに沈黙した矢野・朝木両「市議」


上腕部のアザの形状問題については、P2Cさんがさらにつっこみ、“司法解剖鑑定書からは、上腕内側の痣の実際の形状は不明なのではないか”と疑問を呈していますので、ご参照ください。私も、それなりの根拠に基づき、そう疑う根拠がないとはいえないという結論に達しつつあります。


他方、「東村山市民新聞」はといえば、4月4日付・5日付の更新はいずれも「最終更新日」の修正のみでした。争点のひとつとして浮上したに過ぎないこの問題にこれほど敏感に反応し、連日の更新で千葉さんの主張を「気楽な『珍説』」「レベルの低さを証明するあまりに幼稚なご主張」などと決めつけ続けた以上、このタイミングでの沈黙は致命的だと思うんですけどね。まして、宇留嶋さんに対しては、すでにいちおうの回答がなされている問題について、得意げに「答えることができますかねぇ?!」などと迫っているわけですから。


これでは、アザは楕円形であったという前提に基づいて訴追請求状を出した那田尚史サンや、それに同調して訴追請求状を出した(らしい)瀬戸サンやクロダイくんの立場はどうなるのでしょう*1。どうでもいいんでしょうけど。私もどうでもいいです。ところで、訴追請求状の提出からすでに半年以上経っていますが、まだ結果の通知は来ないんですかね。


その那田サンはといえば、「創価学会の嫌がらせ部隊」と決めつけている相手を訴えた名誉毀損裁判で敗訴(請求棄却)し、逆ギレして、〈創価学会に魂を売った東京地裁八王子支部裁判官・飯塚宏らを糾弾する〉などと裁判官を罵っています。まあ、同じ相手から名誉毀損で訴えられた裁判では勝訴(請求棄却)したようで、


「原告の請求棄却という判決は名誉毀損事件に関して滅多に出ないものだそうです。つまり、こんなくだらない訴訟を起こすな、と裁判官が怒っている、という意味ですね」


などと不思議な理解をして大喜びしていたのですから、逆ギレしたくなるのもわからないではありません。これらの裁判については、内容を精査していませんし、精査する価値もなさそうなので詳しいコメントは控えます。それにしても、どう見ても争点の整理・明確化を目的とした裁判官からの質問状を、「チンピラの言いがかり」「悪意に満ちた質問状」などと罵倒するセンスはまったく理解できません。


ところで、那田サンは掲示板で「今年中に創価学会をぶっ潰します」と宣言しています(2009年3月28日(土)15時50分56秒)。パソコンがPDF経由でウィルスに感染しても「創価学会の仕業に決まっている」と決めつける(2009年3月16日(月)15時08分38秒)ぐらいですから、よほどすばらしい戦略をお練りになっているのでしょう。2月には、「春までには創価は実質的に潰れます」とおっしゃっていたんですけどね(2009年2月6日(金)10時45分27秒)。まあ、これもどうでもいいですな。


話は変わって、橋本玉泉さんが「ジャーナリスト気取り」という表現についてこう書いています。


「もしかしたら、世間では『ジャーナリスト』という表現あるいは呼称を、何かのステイタスなものと考える向きがあるのだろうか」
「業界内での位置も低く、収入的にも恵まれない『ジャーナリスト』を、『気取る』者などいるわけがなかろう」


別に私に宛てて書かれたものではないと思うのですが、私も瀬戸サンのことを「ジャーナリスト気取り」と論評してきましたので、簡単にコメントしておきましょう。


松沢呉一さんもコメント欄で「物書きのヒエラルキーの中で、ジャーナリストは決して最底辺ではない」などと指摘していますが、「調査報道という手法で記事を書く者」という橋本さんの定義(あるいはその他の適当な定義)を満たさないのに「ジャーナリスト」を名乗りたがる人が一定数存在するのは事実です。『読売年鑑』の付録「読売人名録」で「報道・評論・出版」部門に掲載されていたことを主たる根拠として、いまだにブログで「行動するジャーナリスト」と名乗り続ける瀬戸弘幸サンなどは、その典型です。


しかしその瀬戸サンは、万引き被疑事件の舞台となった洋品店と「草の根」との間で争われてきた一連の裁判の結果には一度も具体的に触れることがなく、千葉さんが矢野・朝木両「市議」を訴えた一連の裁判についても、「東村山市民新聞」の恣意的なリストを転載して「いくら負けても訴訟を止めない人なんですね」などと書くような、単なる「草の根御用ジャーナリスト(自称)」です。


松沢呉一さんが指摘していたように、デマとしか思えない『週刊新潮』の記事を鵜呑みにして散々ヨタ記事を書いたくせに、誤報であることがほぼ確定し、産経新聞でさえ「新潮社は説明責任果たせ」と求めるに至っても、弁明すらせずに頬かむり。北朝鮮のミサイル発射問題にしても、自分のブログのコメント欄2ちゃんねる「ニュース速報版」を堂々と「ソース」にし、出所を確認する手間も省いていっちょあがりとばかりに記事を書いてしまう。


橋本さんは、「(食うに困るような状況でも)『ジャーナリスト』を名乗って活動するのは、ひとえに『気概』と『誇り』にほかならないと思います」とコメント欄で補足していますが、そういう「気概」や「誇り」をまったく感じられないのが、瀬戸弘幸という人物です。


2008年10月10日付〈ジャーナリズムは「飯の種」か、それとも「方法」「精神」か〉で書いたこととも重なりますが、私は、「ジャーナリスト」というのはジャーナリズムという「−イズム」(主義・理念・精神)を共有し、それに忠実であろうとする者のことを言うと考えています。そのようなこだわりが一片も感じられないような人が「ジャーナリスト」と名乗っていれば、やはり「ジャーナリスト気取り」と言いたくなってしまうのですよ。


〔この記事は4月5日の午後にアップしたものです。〕

*1:本件訴追請求状については、2008年9月22日付〈矢野・朝木両「市議」も出した?「訴追請求状」〉および同11月6日付〈やはり不法行為に相当するとしか思えない「訴追請求」〉参照。