【救急車問題】誰かさんの情報操作にすっかり乗っかっちゃっていた瀬戸弘幸サン ※資料追加


東村山市民新聞の1月8日付更新(2010/01/07 15:55:35)も「最終更新日」の修正のみでした。はてなアンテナでは〈薄井さん本人の弁明〉というページも更新されたことになっていますが、実質的修正はないようです。


朝木明代市議がビルからの転落直後に救急車を断ったことについてりゅうさんが書いていたのを見て、ひとつ思い出したことがありますので、補足がてら記しておきます。


この救急車問題については、私もいくつかのエントリーで触れてきました。
(1)〈なぜか負け惜しみにしか聞こえない逆転勝訴報告〉(2008年9月5日付)
(2)〈東村山「大本営」発表にすがりつく前に瀬戸サンが認めなければならない「厳然たる事実」の数々〉(2009年4月7日付)
(3)〈「厳然たる事実」を認めたがらない人々〉(同4月8日付)


関連の裁判例については(2)と(3)で抜粋してあります。また、宇留嶋さんがエアフォースで
朝木直子は〕ハンバーガー店のアルバイト店員を非難し、明代が救急車を断った事実を握りつぶそうとした」(〈「創価問題新聞事件」最高裁判決 第1回〉)
「転落した明代の身を案じて声をかけたファーストフード店員が朝木〔直子〕から難詰されている」西村修平事件第6回口頭弁論(その14)〉)
と書いている件については、『民主主義汚染』156ページにより詳細な記述がありますので、あらためて引用しておきましょう。

直子は、明代の容体を気づかって「救急車を呼びましょうか」と声をかけた第一発見者の19歳の女性アルバイト店員に接触し、明代が救急車を断るなどあり得ないと、その証言を頭ごなしに否定し、彼女を非難したという。自分の母親が万引きしたあげくに自殺したなど、娘として信じたくない気持ちはわかる。しかし、赤の他人でありながら、最後まで明代を心配し、激励していたアルバイト店員に対して、遺族として礼を述べるのが先ではなかったか。このアルバイト店員が直子の態度に憤慨したのは当然だったし、その後、警察がこの店員をいっさい表に出さないようにしたのも当然の措置だった。


さて、私が思い出したことというのは、事件直後の新聞報道の話です。瀬戸サンは、転落死直後の新聞記事(1995年9月3日付)を4つ紹介して(ひとつは『デイリースポーツ』、他は一般紙)、次のように書いていました。

 また、この記事の中には「救急車を呼びますか」と訊いたら「いいえ」などと言ったなどとは何処の社も書いていません。
 もし、東村山署元副署長の千葉英司氏が言っているような「救急車を呼びますか?」と訊いたら「いいです」などと言った人がいるなら、その人の名前を明かしなさい。
瀬戸弘幸ブログ〈黒田大輔『日本を護る市民の会』代表の裁判支援行動(3):アンチブログの焦りぶりが可笑しい。〉、太字は原文ママ


“新聞記事には書かれていないから、そんなやりとりはなかったはずだ”という自称ジャーナリストらしからぬ発想についてはすでにつっこみ済みなのですが、実際には、朝木明代が救急車を断った事実は複数の新聞で報道されていました(追記:文末資料参照)。『東村山の闇』事件・東京高裁判決(PDFファイル)に記載された千葉さんの主張から引用します(判決書6〜7ページ、太字は引用者=3羽の雀)。

(ア)東村山署の9月2日の記者会見を受けて報道した一般紙は6紙であるが、共通するのは、第1発見者が「大丈夫ですか」と声をかけると「大丈夫です」と答え(4紙)、「救急車を呼びましょうか」との問いに「いいです」と断っている(3紙)。次に異なってくるのは、「落ちたのですか」と尋ねて、いいえと首を振った(2紙)、「飛び降りたのですが」と尋ねて、「いやぁ」と答えた(1紙)かである。仮にその人が突き落とされたのであれば、大丈夫かと聞かれれば、体調はともかく救いを求めるのが普通であり、救急車を呼ぶことさえ否定するという心理状態は、到底地上6階から突き落とされた人の発言とは考えられない。むしろ、飛び降りてしまったが、おおっぴらにしたくないという人の心理、特に議員という立場の人の心理が働いている。また、悲鳴を聞いたとされる住民に対する捜査や鍵束についての捜査等捜査は適切に行われている。


千葉さんの主張ですが、書証は当然揃えていたでしょうから、事実と判断して間違いないでしょう。瀬戸サンは、一般紙6紙のうち、救急車に関するやりとりを報じなかった3紙だけを取り上げて「何処の社も書いていません」と書いていました。


つまり、救急車に関するやりとりを報じなかった記事だけを意図的・恣意的に選択して瀬戸サンに渡した人物がおり、瀬戸サンも自分で当時の新聞記事を調べようとはまったくしなかった、ということなんでしょうね。その人物がいったい何者なのかは、あえて詮索するまでもないでしょう。どう見ても誰か別の人間にまとめてもらったと思われる主張を丸写しするまきやすともと同様、瀬戸一派は一貫して情報操作に踊らされているということです。


ちなみに、『東村山の闇』事件東京地裁判決では千葉さんが次のような主張をしていますので、ついでに引用しておきましょう(太字は引用者=3羽の雀)。

 原告が週刊新潮記者Kの取材を拒否したのは事実であるが,K記者の取材拒否をしたのは,K記者が明代に救急車を呼びますかと尋ねた目撃者の勤務先であるモスバーガー店舗において執拗な取材をしたため,営業妨害との苦情が警察に寄せられたこと,明代関連事件の捜査に従事し,本件著作物でも名指しで批判されている警察官の自宅周辺で宗派調査をしたことがあったので,原告の判断で以降の明代関連事件に関する取材を拒否したのである。


なお、ここで「K記者」とされているのは草野敬記者のことです。矢野・朝木両「市議」と関係が深く、柳原滋雄さんもよく取り上げていた人物ですね。


もともと私は、ジャーナリストの取材・執筆活動について触れる際には原則として匿名にする必要がないと考えていますが(中村克が読売新聞記者の実名を挙げて理不尽な攻撃をしている場合でも、引用の際にそのつどイニシャルにしたりしないのはそのため)、『週刊新潮』のデスクまで務めた草野記者についてははなおさらだと思いますので、付記しておきます。


【資料】朝木明代市議が救急車を断った事実を報じた新聞記事
*ソース:りゅうオピニオン〈瀬戸さん引退ですか。瀬戸さんが調べることができなかった(?)朝木明代市議が救急車を断ったという報道記事
〔読売新聞 1995年9月2日付夕刊〕

女性市議が変死 6階ビルから転落? 今春には当選長女が辞退で物議/東村山
 一日午後十時四十二分ごろ、東京都東村山市本町二の「モスバーガー東村山店」裏で、同市諏訪町一、東村山市議の朝木明代さん(50)が倒れているのを、同店の女性店員が発見、東村山署に届け出た。朝木さんは、埼玉県所沢市の病院へ運ばれたが、全身を強く打っており二日午前一時ごろ死亡した。
 同署の調べによると、同店は六階建てマンションの一階にあり、朝木さんは同マンション北側の壁とフェンスとの約一メートルの間にあお向けに倒れていた。同署はきょう二日午後、朝木さんの遺体を司法解剖して詳しく死因などを調べるが、胸の骨や歯が折れているという。同署では、自殺、事故などの面から調べている。
 同マンションは、屋上へはカギがかかっていて入れないが、外部から自由に外階段を上れる構造。隣の駐車場とマンション敷地を仕切るフェンスが折れ曲がり、外壁のパイプに朝木さんのものとみられる血のりがついていたことから、外階段の途中階の踊り場からの落下とみられる。
 発見された直後、朝木さんはまだ意識があり、第一発見者らの呼びかけに「大丈夫です」と答え、さらに「救急車を呼びましょうか」との問いには「いいです」と応じた後、意識が薄れたという。

毎日新聞 1995年9月2日付夕刊〕

4月に母娘当選の女性市議が転落?死亡 マンション6階から−−東村山市
 一日午後十時四十二分ごろ、東京都東村山市本町二、店舗兼マンション「ロックケープハイム」(六階建て)敷地内の空きスペースに、女性が倒れているのを一階の店員が発見、一一〇番した。東村山署の調べでは、同市諏訪町一、同市議、朝木明代さん(50)で、病院に収容されたが、二日午前一時、全身打撲で死亡した。
 同署は、六階踊り場の手すりに指の跡があったことから、この踊り場から飛び降り自殺した可能性もあるとみている。遺書は見つかっていない。発見された時、朝木さんは意識があり、店員が「救急車を呼びましょうか」と話しかけると「いえ、結構です」と答えたという。二日午後にも司法解剖し、詳しい死因を調べる。

産経新聞 1995年9月3日付〕

飛び降り自殺の可能性強まる 東村山市議の転落死
 東京都東村山市本町二のマンションで同市諏訪町一、東村山市議、朝木明代さん(五〇)が転落死した事件で二日午後、朝木市議の遺体を司法解剖した結果、死因は胸や肺などを強く打っての失血死と分かった。警視庁東村山署は、外傷がなく争ったあともないことから、朝木市議が飛び降り自殺した可能性が極めて強いとみている。
 調べによると、朝木市議はマンションの五階と六階の間にある踊り場の壁のてすりに、建物の外側から両手をついた跡があり、約十三メートル真下のフェンスに落ちていた。朝木市議はくつをはかず、足の裏が汚れていた。発見時に朝木市議は意識があり、発見者からの救急車の要請を「必要ない」と断っている。

朝日新聞 1995年9月3日付 東京地方版〕

波紋広げる朝木明代・東村山市議の急死 同僚議員らに衝撃 /東京
 東村山市の朝木明代市議(五〇)の急死は、市政に批判的なグループ「草の根」の中心として活発に動いていただけに、関係者に波紋を広げている。
(略)
 ○店長と会話、救急車断る
 朝木市議と同じ会派の矢野穂積市議(四七)によると、一日午後は書類送検された窃盗容疑事件で弁護士と打ち合わせをしたあと、七時前、東村山市内の事務所に二人で行った。矢野氏が外出し、九時過ぎに戻ると朝木氏の姿はなかった。その後、朝木氏から電話があり、「気分が悪い」と話していたという。
 東村山署の調べによると、事務所から約百メートル離れた飲食店の男性店長(三三)が午後十時半過ぎ、店の裏で倒れているのを見つけ、声をかけると「はい、大丈夫です」と答えた。「上から落ちたんですか」と聞くと首を横に振った。救急車も断ったという。
 司法解剖の結果、死因は出血性ショック死で、胸に強く打った跡があった。朝木氏は紺のパンタロンスーツ姿で、所持品はなかった。裸足で、靴は見つかっていない。