裁判でもとっくに「短絡的にすぎる」と一蹴されている創価学会関与説
昨日付の記事に引き続き、瀬戸弘幸サンが乙骨正生『怪死』あたりから引っ張ってきたのではないかと思われる会議録をもとにグダグダ言っている件について触れておきます。
凪さんがすでに2008年8月23日の段階で指摘していたように、瀬戸サン曰く「非常に正義感の強い女性」である(しかし私には“市議会で市政とは関係のない質問を強行するイタい議員”にしか見えない)朝木明代市議が市議会で「創価学会の件に関して厳しく追及していた」としても、普通はこの程度で「殺害の動機とはなり得ないと考えるのが通常」です。
その上、議席譲渡事件と万引き被疑事件という、「草の根」にとっては致命的ダメージになりかねない事件が相次いだ時期なのですから、
「このままほっとけば書類送検されて、市議の座から転げ落ちることは必至、そんな時にわざわざ殺すヤツはいないって」(松沢呉一さん)
と考えるのが普通の判断力を持った人間というものです。瀬戸サンがしばしば現実世界の判断基準とするドラマや映画でも、こういう時にあえて殺人のリスクを冒す人間・組織などめったに出てこないでしょうし、出てきてもよっぽど間抜けな存在として描かれているのではないでしょうか。
当然のことながら、瀬戸サンのような主張は裁判でもまったく相手にされてきませんでした。裁判所の具体的判断を見る前に、朝木明代市議が公明党・創価学会と対立するようになった経緯を簡単に振り返っておきましょう。「聖教新聞」事件・東京地裁判決(平成12〔2000〕年6月26日)では次のように認定されています*1。
(3)草の根グループは、草の根民主主義を標榜して、いずれの政党にも属さずに活動していたが、平成4年6月30日に行われた協議会において、発言中の亡明代に対し、公明党の東村山市議会議員が行った発言がきっかけとなって、公明党や被告創価学会と対立するようになった。そして、草の根グループは、被告創価学会系企業に対する公共事業の優先発注の疑惑や職員採用、被告創価学会からの脱会者からの相談についての被告創価学会の信者である東村山市職員の関わりに関する疑惑等を東村山市議会で取上げたり、東村山市民新聞に公明党や被告創価学会を批判する内容の記事を掲載するなどして、公明党や被告創価学会を批判する活動を行っていた。また、草の根グループは、被告創価学会から脱会した者等から同被告による人権侵害を受けたとの相談が持ち込まれたり、救済を求められた場合には、それらの者を支援する活動もしていた。
「平成4年6月30日に行われた協議会」で起きた事件については、松沢呉一さんも〈お部屋1637/「草の根」を推薦した岡留安則〉(2008年9月2日付)で言及していますが、宇留嶋瑞郎『民主主義汚染』から該当箇所を引用しておきます。
・・・92年6月30日、北多摩地区の市議や市長が集まった会議が開かれた。のちに問題となる出来事があったのは、会議終了後の飲み会の席だった。
つねづね公費の使途について重箱の隅をほじくるような追及をしてきた明代が、いつもの調子でこの日も杓子定規なクレームをつけたのである。まともに取り合うような席ではない。許せない妄言なら他日にしておくべきだった。ところが、日ごろの明代のうわさを聞いていた一人の市議がつい「なんだ、女のくせに」とやってしまった。それは公明党小金井市議(=当時)、大賀昭彦だった。以来、「草の根」は徹底的な公明党創価学会攻撃を繰り広げるようになったのである。・・・
もともとは、「草の根」がことさらに公明党・創価学会を敵視していたわけではなかった。明代が市議に初当選した直後など、「東村山市民新聞」ではもっぱら激しい共産党攻撃をやっていたものである。あさましい党利思想というのか、昔から思想的に共産党と相いれなかった公明党は、そのためか、内心では「草の根」の暴走を黙認していたフシさえあった。議会のルールを守らない明代に対する懲罰動議が出されたとき、公明党だけが反対に回り、成立させなかったという出来事もあったほどなのである。・・・そして前述の92年6月30日、「草の根」の個別の標的はこの日を境に偶然にも公明党・創価学会へと急変することになったのである。以来、「東村山市民新聞」では、公明党議員に対する反感が批判を超えて激しい誹謗中傷となり、間断なく繰り返されるようになっていく。
(『民主主義汚染』59−61ページ。漢数字はアラビア数字に修正)
同じころ、おそらくはこの出来事以降のことと思われますが、「草の根」は日蓮正宗と接触しました。旧「創価問題新聞」で次のように説明されている通りです。
私どもは、1992年以降、朝木明代議員に、日蓮正宗寺院から人権侵害救済の依頼がなされたことから、支援活動を行い、その原因者である創価信者らに対する批判の活動を、その後、一貫して行ってきました。
その過程で、朝木明代議員は何者かによって、謀殺されましたが、活動を引き継いだ私どもも、朝木明代議員と同様の立場にたって、人権侵害には、支援を行っております。
したがって、私どもが、日蓮正宗の教義を支持するなどの立場にないことは、申すまでもないことですが、創価が日蓮正宗との間で、抗争を続けているときに、謀略や人権侵害の具体的事実があった場合には、それが、どの教団との場合であっても、厳しく批判を展開する考えであることを明らかにしておきたいと思います。
(旧・創価問題新聞〈「教団」各派との関係について2〉)
瀬戸サンが引用している会議録(最初が1993年、次が1994年)に掲載された朝木明代市議の発言内容にも日蓮正宗の影響は明らかであり、公明党・創価学会を攻撃したくなった朝木明代市議らが日蓮正宗の主張に飛びついたことは容易に想像できます。
もちろん、動機やきっかけが何であろうと、事実に基づいた正当な批判であれば別に問題はありません。とてもそうとは思えないことからいろいろと問題が生じるわけですが、それはここでは措いておきましょう。ただ、「謀略や人権侵害の具体的事実があった場合には・・・厳しく批判を展開する」と宣言していた「草の根」が、洋品店店主・千葉英司さん・創価学会に対する名誉毀損等の人権侵害を繰り返し、洋品店襲撃事件も公然と擁護していることだけ想起しておきます。
さて、「聖教新聞」事件・東京地裁判決では朝木明代市議の公明党・創価学会批判について前述の通りの認定が行なわれたわけですが、だからと言ってこれが万引き「でっち上げ」や「殺害」を疑わせる理由にはなりません。東京地裁判決はこの点について次のように指摘しています。
(二)しかしながら、右(1)の事実及び原告らが本件死亡事件について存在したとする右(2)の事実が全て真実であったとしても、それは被告創価学会と対立していた原告らにとって、本件各事件への被告創価学会の関与について疑いを抱かせるようなものではあったとしても、客観的に見れば、被告創価学会と本件各事件とを結びつける根拠としては極めて薄弱というべきである。亡明代が被告創価学会を批判、攻撃する活動を行っていたことはこれまで認定してきたとおりであり、これに対し、被告創価学会が亡明代を快く思っていなかったことは考えられるとしても、そのことからただちに、被告創価学会が亡明代を陥れるために本件窃盗被疑事件をねつ造したり、ついには亡明代を殺害したということができないことはいうまでもない。
(太字は引用者=3羽の雀。以下同)
常識的な判断と言うべきでしょう。矢野・朝木両「市議」が200万円の損害賠償と謝罪広告を命じられた『東村山市民新聞』事件でも、同様の認定が行なわれています。
被告らの主張する右(1)及び(2)の各事実のうち、本件証拠上、その存在自体を確定することができない事実が多く、また仮にそのような事実が存在したとしても、原告ないしその信者などの関係者の関与を確定することができない事実が多い。この点をひとまず措いて、仮に被告らの右主張事実を真実と仮定したとしても、客観的に見れば、原告が本件事件に関与していると認めることはできず、かつそう信じたことについて相当の事由があるということはできない。すなわち、亡明代が原告を批判する活動を行い、これに対し、原告が快く思っておらず、被告らが嫌がらせを受け、これに原告ないしその信者などの関与が窺われるという事情があったとしても、そのことから直ちに、原告が亡明代を陥れるために本件窃盗被疑事件を捏造したり、亡明代を殺害したりしたと認めるには足りず、原告と対立関係にあった被告らが原告の関与によるものと思い込んだとしても、そう信じたことが客観的に見て相当ということはできない。
(東京地裁・平成13〔2001〕年2月27日判決)
本件事件当時、明代や控訴人らが脅迫等の嫌がらせ等を種々受けていたと控訴人らが主張する点については、確かに、被控訴人の信者又は客観的にみて信者あるいは関係者と疑われる者が関与していると認められるもの(信者が明代のカセットレコーダーを損壊した事実、関根所有のトラックを含むトラック2台が控訴人矢野に危害を加えようとした事実、ビラ配布の事実。ただし、ビラは、前記「草の根グルーブの議席の私物化を許さない会」の名称で配布されている。)もあるが、むしろ、被控訴人の信者が関与していることの客観的な裏付けを欠くものや、控訴人らの主張によってさえ被控訴人の信者が関与しているか明らかではないものも多く含まれている。
被控訴人自身が関与しているものと認められるもの(聖教新聞における各記事の掲載の事実)についても、これが明代の殺害を教唆したり、煽動するような内容のものとはいえない(そもそも、上記(ネ)及び(ノ)の聖教新聞の各記事は、いずれも本件転落死亡事件の後のものである。)。
確かに、当時、明代が被控訴人を批判する言動をしていたことから、被控訴人やその信者の多くがこれを快く思っていなかったものと考えられるが、このことから本件転落死亡事件に被控訴人が関与していると推測するのは短絡的にすぎる(なお、「草の根グループ」に対しては、被控訴人やその信者以外にも批判的な立場の者は少なくなかった。)のであって、結局、控訴人らの主張を検討しても、いずれも本件転落死亡事件との関連性に乏しく、客観的に見て、同事件に被控訴人あるいは被控訴人の信者が関与していることの根拠としては甚だ薄弱であるといわざるを得ない。
(東京高裁・平成13〔2001〕年12月26日判決)
そもそも矢野・朝木両「市議」らは、転落事件翌日(死亡当日)の午前中に矢野「市議」が記者会見を開いて創価学会関与の疑いを強く匂わせ(『民主主義汚染』150ページ)、9月4日に行なわれた葬儀でも矢野「市議」が少なくとも4度「創価学会に虐殺されました」と参列者に訴える(同157ページ)など、事件直後から創価「殺害」疑惑の宣伝に狂奔してきました。それどころか、転落死の前に起きた万引き被疑事件についても「創価学会の陰謀」などとデンパな宣伝を繰り広げていたことについては、2009年10月16日付〈矢野・朝木両「市議」の情報操作に乗せられっぱなしの哀しいゼリーグループ〉等でも振り返った通りです。
しかし、一連の裁判によって創価学会「謀殺」説は木っ端微塵に粉砕され、矢野・朝木両「市議」は
「この間、・・・『朝木明代議員を殺害した』のは誰か、を特定して指摘することは控えてきました」
とウソまでついて、これまでの経緯を誤魔化さざるを得なくなってしまいました(2009年5月14日付〈なぜ「親創価匿名ネット族」と呼ぶのかという疑問には答えない矢野穂積「市議」〉参照)。
瀬戸弘幸サンは、このような経緯および関連する判決も一切無視して、いまだに
「何故マスコミは殺害された疑いがあると報じたのか?」
などととぼけたことを言い続けているわけです。私は瀬戸サンから「創価(学会)の犬」などと言われながらも、瀬戸サンのことは控えめに「草の根」広報マン(あるいは「草の根御用ジャーナリスト」)などと呼ぶにとどめてきたわけですが、そろそろ「草の根」の犬という呼称を進呈すべきでしょうか。まあ
「朝木直子さんの言葉を信じる」
という信仰告白を踏まえれば朝木直子「市議」の名前を冠した方がいいのかもしれませんが、ちょっと生々しくなるのでやめておきます。
〔この記事は2月22日の午後アップしたものです。〕
*1:公表されている判決書で仮名になっている部分は実名に、漢数字はアラビア数字に修正。以下同。